プロレス想い出回想録・さよならの友よ⑩ 生前に託された想いと最後の別れ
忘れぬ面影
メディコさんが亡くなってずいぶん時間が過ぎた。
いまだに信じられない思いもあるし、お別れ会が終わり、梅雨になって、夏が来て、様々なプロレス観戦をしても、どこかに穴が空いたような感じがしていてならない。

相次ぐ突然の別れ
私の周りでは、2019年くらいから友人・知人・両親・親戚がどんどん鬼籍に入っていき、そのほぼすべてが突然の別れであった。
特に両親や親戚に関しては半年のうちにバタバタと過ぎ去っていき、一周忌を前にしてまだ遺品整理が終わらないといった有様だ。
早めの終活準備
そこへいくと、非常に用意周到だったメディコさんは、早いうちからエンディングに向けての準備を始めていたようである。
私がメディコさんのご病気に気づいたのは昨年の秋くらいだったので、もしかするとそれより早く動いていらしたのかもしれない。

最初は確か入院されるということをSNSに投稿されていた記憶がある。
がん生還への思い
その時はまさか死につながる病気だとは思いもしなかった。
そもそも私自身、箇所こそ違えどがんサバイバーであり、がんは乗り越えられるという根拠のない自信が出来上がっていた。
さまざまな種類を含めてがんになって亡くなる確率は4人に1人らしい。
つまり4分の3は生還できるわけだし、何より私にはまだまだプロレスを観に行きたいという気持ちが強くある。
だから、多分メディコさんも大丈夫なんじゃないかと勝手に思っていたのだ。

しかし、一口にがんと言ってもその種類はさまざまで、生還率もそれぞれ異なるのが実情だ。いくら願ったところでこればかりはどうしようもない。
自分の最期が近づくまでどんな思いで準備してこられたのか、それを思うと今でも複雑な気持ちになる。
最後の形見分け
3月にお会いした時は、すでにご自身のコレクションを手放す準備をされており、プロレスショップに貴重な品を多数引き取ってもらっていたそうだ。
聞けば、ああしたショップでは印刷されたチケットやプロレスマスクなどが求められており、私が持っているようなプロレス週刊誌、サイン色紙、CDなどは、ほとんど「いらない」と言われたという。
そして最後にお会いできた4月19日。この時はもう髪の色も白くなり、顔色も悪そうだった。
しばらく痛みで座っていらしたそうだが、それでも最後まで観戦されて、最後に私へ形見分けをしていただき、丁寧にお礼を述べてくださりその場で別れた。
よくよく考えてみたら、私とメディコさんは出会った年月日と最後にお別れした年月日がはっきりわかっているという、非常に珍しい関係性になってしまった。

カジュアルな送別
しばらくしてメディコさんの訃報とお別れの会のご案内が届いた。
ご生前から、ご自身のお別れの会を開かれることは聞いていた。
「喪服とかではなく、カジュアルな服装で」と生前ご本人に言われていた通りにした。
私が選んだのは、がむしゃらプロレス前代表にしてプロレス居酒屋がむしゃら前オーナーのドン・タッカーTシャツだ。
これは有志がお金を出し合って作ったスペシャル版で、お金を出した人の名前が背中に印刷されている。
その中にメディコさんの名前があるからこそ、お別れの会に着ていく意味があると勝手に思ったのだ。
繋がれた大切な縁
当日はたくさんの方々が来られており、臨時駐車場が作られるほどだった。
会ではメディコさんが好きだったというスターダスト・レビューや小田和正さんの曲が流され、特にご縁の深かった方々からお別れの言葉が告げられた。
散会後、メディコさん自作の陶磁器がお土産として配られ、私も一ついただいてその場を後にした。

他地域から来た友人たちと久々に昔話に花が咲いた。もちろんブログ等には書けない内容もたっぷり話せたし、そんな我々をメディコさんがどこかで苦笑いしながら聞いていたような気がしてならない。
これもメディコさんが繋いでくれたご縁には間違いない。
メディコさん、ありがとうございました。


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