プロレス想い出回想録・さよならの友よ④私を救ったメディコさんの誘い
病と無職の日々
メディコさんと過ごした時間の大半は、私の方がさまざまな病気になっており、私が無職として過ごしていた時期でもあった。
その都度メディコさんにはよくしていただいて、本当に感謝に堪えない。
襲いかかる鬱病
2000年代初頭に11年半勤めた会社を放り出され、1年後に鬱が発症。2〜3年はしばらくプロレスも観にいけなかった。
そこから少しずつ出かけていけるようになり、再びプロレスやメディコさんとの交流も再開していった。
抗うつ薬はすぐに効果が出るものではなく、およそ10日から2週間前後で効果が見え、副作用は比較的早くあらわれやすいのが特徴なんだそうで、私もそれに漏れずなかなか最初のうちは、服薬しても服薬してもしんどかった。
温泉地での休息
メディコさんのご自宅がある地域は、非常に自然が豊かで温泉もあり、そんな中でお話を聞いていただけたのは、本当にありがたかった。
そんな中で、何となく覚えている話がある。メディコさんがやにわに「少し待っていてくださいね」と言って、公道横の竹藪に入っていった。
「何をしにいくんだろう?」と思って待っていたら、まもなくして手にたけのこを持って出てきて、「これでも食べてください」と言って、筍を差し出してくれた。
あまりに意外すぎたので、びっくりしたけど、ありがたくいただいて帰ったのはよく覚えている。
薬の巡り合わせ
初期の鬱状態はとにかく出歩くのもしんどくて、プロレス観に行くのもきつかった。
そのうち、自分に合う薬に巡り合ってどうにか外にも出られるようになってきた。
そんな折にもメディコさんが声をかけてくださり、時々プロレスも観に行けるようになってきた。
ご本人から聞いた話だと、大学時代に心理学を学んでいらしたという事で、今よりもずっと酷い鬱状態に悩む私は色々相談に乗っていただいた。
運命の2009年
And 2009年、私にとってはある意味運命的な出会いが訪れる。
この年の11月22日に下関でプロレスリングNOAHの大会が行われており、会場でメディコさんとお会いしていた。

その時に「明日小倉でプロレスがあるので行きませんか?」と誘われた。
聞いた話では、前回の大会に小島聡選手がゲストで来られていて、それが面白かったので誘ってくださったのだそうだ。
その存在をメディコさんが知ったのは、川棚にあるチェーン店の散髪屋さんで、街中では見かけないポスターが貼ってあったらしい。
しかもチケット代は2,000円と超破格。チケットを購入すると、中には感謝のメッセージとサインが添えられていた。
謎のインディ
団体の名前は「がむしゃらプロレス」と言う。
聞いたこともない団体だった。
後々調べたら、がむしゃらプロレスというのは、実は北九州の社会人プロレス団体として数年前に旗揚げしたらしい。
街中でも殆ど試合ポスターとかそういう宣伝活動を一切していない。
しかも選手がほぼほぼ誰だかわからない。
こうなると、逆に自分の中で俄然興味が沸いてきたのだった。
正直2日連続の観戦をするのは、体調的に不安しかないのだけれど、これはもう行くしかない。
自分の中ではもう答えが出ていたのだ。

社会人の覚悟
メディコさんに誘っていただいたがむしゃらプロレスは、一回で私を完全に虜にしてしまうほどのパワーがある団体だった。
後々がむしゃらプロレスが、プロではなく社会人プロレス団体だと知ったのだが、プロ選手にも練習をつけてもらうなど、基礎はしっかりしていた。
そして何より殆どの選手がプロレスを愛していたのだ。
後にがむしゃらプロレスと「心の提携」を結ぶことになるプロレスリングFREEDOMSの佐々木貴代表は「リングに上がったからには、プロもアマも関係ない」と常々口にしていた。

ちなみにがむしゃらプロレスには有料大会と、さまざまなイベントに呼ばれて試合を行う無料大会の二つがある。
さすがに全ての大会を網羅する事は不可能だが、有料大会に限っては2009年にメディコさんから誘われて、2026年まで無欠席で観続けている。
多分自分がプロレスファンとして生きながらえているのは、がむしゃらプロレスと、がむしゃらプロレスを観るきっかけをくださったメディコさんのおかげだというのは間違いないと思う。

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