[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝㊼飯伏幸太

小学生の時に

今回はG1クライマックス30覇者・飯伏幸太選手のお話です。飯伏選手は、小学校から中学校に進学する前の春休みに西日本プロレスを観戦、全試合終了後に強引に入団テストを受け、バク宙やムーンサルトプレスを披露して合格してしまったほどでした。

結局「中学を卒業してから」と言われ、帰されたのですが、そのまま入団していたら彼の人生は大きく変わっていたでしょう。

DDT時代

紆余曲折を経て、飯伏選手は、2004年7月1日、DDT後楽園ホール大会でKUDO相手にデビューします。本人はこの時「デビューしたらやめよう」と考えていたそうですが、結局デビュー戦が楽しすぎたのでプロレスを続けることにしたんだそうです。

高木三四郎大社長は飯伏選手の才能を高く評価していたのですが、その性格から普通の新人と同じように育てたらプロレスを辞めるだろうと考え、新人レスラーが行う雑用等の仕事をさせずに、好きなようにやらせていたんだそうです。この辺も普通の選手とはどこか違いますよね。

ケニーとの出会い

2008年8月6日、ビアガーデンプロレスにて、カナダからやってきたケニー・オメガ選手との初シングルを果たします。

この試合は、路上とリング上で1本ずつ先に獲った者が勝者となる変則ルールでした。

路上のみならずリング上でも壮絶な攻防を繰り広げ、飯伏選手が勝利。この試合は2008年ネットプロレス大賞のベストバウトに選ばれました。

この対戦をきっかけにケニーとの間には不思議な友情が生まれ、翌年のゴールデンラヴァーズ結成へとつながるわけです。

G1二連覇の先に

そして中学時代に履歴書を送っていた新日本と接点ができたのが、2009年でした。ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアへ初参戦を果たしたのです。

しかし、獣神サンダー・ライガー選手からは「グラウンドテクニックをもっと磨け」「今のままではただのサーカス」とその才能は認こそするものの、アドバイスの意味での苦言を呈されてしまいます。

そこから、グラウンド技術を磨き、ヘビー級転向、2団体所属を経てのG1クライマックス二連覇。解説席のライガーさんも「素晴らしい選手になった」と飯伏選手を絶賛していました。彼が思い描く「神」に、確実に近づいているのは間違い無いでしょうね。

 

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