[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝㉜大向美智子

デビューからLLPWへ

今回は、山口県で「EGOISTプロレス教室」を主催している大向美智子さんのお話です。現役時代、キャリアのスタートは全日本女子プロレスでした。しかし、デビュー前の練習中に痛めた右膝十時靭帯の影響もあって引退を余儀なくされます。

しかし、1993年、旗揚げしたばかりのLLPWにて再デビューを嘆願。試練の連戦を経て正式に入団を許可されます。

伸び悩んだLL時代

1995年から1997年にかけては、LLPWのアイドルレスラーとして活躍。しかし、古参レスラーの層が厚いLLPW内でレスラーとしての価値を向上させることができず、伸び悩んでいました。

そんな中、1997年夏、経営難の全日本女子プロレスから退社した元広報部長小川宏、アジャ・コングらが立ち上げた新しい女子プロレス団体アルシオンからヘッドハンティングの打診を受け、二上美紀子(GAMI)とともに移籍を決意、LLPWを退団しました。

アルシオン入団

1998年2月、後楽園ホールで行われたアルシオン旗揚げ戦では、いきなりアジャ・コングとシングル対決。レフェリーストップ負けを喫したものの、蹴りなどの打撃に活路を見出したファイトスタイルを提示し、新生・大向美智子をアピールしました。

アルシオンでは参戦選手にライセンスナンバーを発行しており、大向さんのライセンスはNO.5でした。

リアル女子プロレスラー

1999年、アルシオンが年に二回開催していたシングル・トーナメントARS(5月開催)で連続優勝。シングルプレイヤーとしてのグレードを一気にひき上げました。

2003年2月、経営難に陥ったアルシオンを退団。クイーン・オブ・アルシオン王座は返上。フリー選手となりました。2005年6月28日、総合格闘技大会スマックガールに自ら「リアル女子プロレスラー」を名乗り参戦します。1Rにバックドロップを決めるなどし、最後は鼻骨骨折で鼻血を出しながらもパンチ連打でKO勝ちを収めました。

引退後は・・・・

2007年8月4日、結婚および12月9日の自主興行(新宿FACE)で現役を引退することを発表。当日はアルシオン、M’s Styleで共闘した仲間と8人タッグマッチを行い、リングを去りました。

結婚後は山口市に移住。現在は、周南市の格闘技ジム「毛利道場」に所属するプロレスラー「土屋クレイジー」からの要請がきっかけで、月に1回「Egoistプロレス教室」に講師として参加する傍ら、土屋ら毛利道場Egoistプロレス所属レスラーの試合の際はマネージャーとして帯同しています。






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