[プロレス入場テーマ曲] プロレス的音楽徒然草 レッツ・ヒア・イット・フォー・ザ・ボーイ(リック・マーテルのテーマ)

[プロレス入場テーマ曲]プロレス的音楽徒然草

プロレス的音楽徒然草 レッツ・ヒア・イット・フォー・ザ・ボーイ(リック・マーテルのテーマ)

末期のAWA王者

今回は、末期のAWA世界王者として、日本で世界初のNWA世界王座とのダブルタイトル戦を戦った、リック・マーテル選手の全日本時代のテーマ曲「レッツ・ヒア・イット・フォー・ザ・ボーイ」のご紹介です。

リック・マーテル選手は、全盛時の1980年代は甘いマスクの二枚目ベビーフェイスとして黄色い声援を集めました。

新日本登場は…

私がはじめて観に行った第二回IWGPの公式リーグ戦でも、パンフレットの付録ポスターにでかでかとマーテル選手の顔が写っているのですが、何度となく新日本プロレスへの来日が予定され、IWGPリーグ戦のカナダ代表選手とされたこともありながら、新日本登場は一度も実現しませんでした。

1984年5月13日、ミネソタ州セントポールのシビック・センターにおいてジャンボ鶴田選手を破り、第31代AWA世界ヘビー級王者となり、1985年10月21日には全日本プロレスの両国国技館大会にて、当時のNWA世界ヘビー級王者であったリック・フレアー選手と史上初のAWAとNWAの世界ダブルタイトルマッチを行っています。

ダブル世界戦は

この当時、長州力選手率いるジャパンプロレスが乗り込んで、全日本中継が土曜夜7時のゴールデンタイムに復帰。

W世界戦はその目玉のひとつでしたが、結果は両者リングアウトで終わり、いかにも三大世界タイトルらしい結末に終わりました。

WWFへ

1987年からマーテル選手は、WWFに戦いの場を移し、当初はベビーフェイスとして活躍していました。

円熟期に入った1990年代はルックスの良さを鼻にかけたナルシシスト系ヒールに転じます。

ザ・モデル

このナルシスト系時代は1989年4月2日のレッスルマニアVで、ストライク・フォースの相方、ティト・サンタナ選手を裏切ったところからはじまっています。

以降、「ザ・モデル」と称し、 “Arrogance” なるブランドの香水スプレーを対戦相手の顔に噴射する反則行為を行うヒールとして観客のブーイングを煽り活躍しました。

SWSで

このザ・モデル時代には、1990年4月13日、東京ドームで行われた日米レスリングサミット、同年末にはWWFと提携していたSWSにも来日し、12月12日、東京ドームでのSWS認定ジュニアヘビー級王座決定戦で佐野直喜の相手を務めています。

正直マーテル選手にはゴリゴリのヘビー級というイメージはなかったのですが、SWSに来た時のジュニアヘビー級という扱いにはやや違和感がありました。

引退後は

とはいえ、「ザ・モデル」としては、1995年にWWFを離脱するまで長期にわたって活躍しているので、私が思う以上にマーテル選手をヒールと認識しているファンは多いのかもしれません。

マーテル選手は、1997年にWCWへ移籍しますが、翌1998年には試合中に背骨と首を相次いで損傷し引退。引退後は地元のケベック・シティーで不動産開発事業を手掛けているそうです。

フットルースの

さて、AWA王者時代のマーテル選手にあてがわれた「 レッツ・ヒア・イット・フォー・ザ・ボーイ」ですが、歌っているデニース・ウィリアムスさんは「4オクターブの美声」を誇ったリズム&ブルースの女性歌手です。

「レッツ・ヒア・イット・フォー・ザ・ボーイ」はケヴィン・ベーコンさんが主演した映画「フットルース(Footloose)」の挿入曲です。

全日本でも

表題曲「Footloose」に続く2ndシングルとしてHot 100で2週連続No.1(年間13位)に輝きました。

ちなみにこの「フットルース」は、若手時代のサムソン冬木&川田利明組「フットルース」のテーマ曲にもなっています。

タイトル曲として

また、同シングルがチャートのトップにあった1984年5月、デニース・ウィリアムスさんは自身のアルバム「Let’s Hear It for the Boy」も発表しており、そのタイトル曲としてこちらにも収録されています。

この曲のヒットにより、デニースさんは1985年のグラミーにもノミネートされました。

グラミーにも

劇中での「レッツ・ヒア・イット・フォー・ザ・ボーイ(Let’s Hear It for the Boy)」はレン(ケヴィン・ベーコン)がぶきっちょな友人(クリス・ペン)にダンスを教えるシーンで使用されています。

しかし、当初この場面に挿入されていたのは別の曲だったそうです。

新しい血

この点について、脚本を担当したディーン・ピッチフォードさんによると…

“みんな最初の曲が好きだった。でも8カ月も同じ曲を聴き続けてるとさすがに誰もが飽きちゃって、何か‘新しい血’が必用だったんだ。元気一杯の少女が‘ねぇ、聞いて!’ってボーイ・フレンドを自慢するような歌…”(出典元

という事だったそうです。

あの時代を

こうして作曲家トム・スノウさんと徹夜で書き上げたのが「レッツ・ヒア・イット・フォー・ザ・ボーイ(Let’s Hear It for the Boy)」であり、それは撮影が終了するギリギリの時期のことだったそうです。

ダンストは全く縁のない私にとってさえ、「フットルース」は自分の青春時代と重ね合わせられる「時代の名曲」であり、キラキラしていたあの時代を振り返るのになくてはならない音楽たちです。

「レッツ・ヒア・イット・フォー・ザ・ボーイ(Let’s Hear It for the Boy)」は、マーテル選手のきらびやかなAWA王者時代と、自分の想い出を同時に想起できる大切な曲でもあるのです。

プロレス的音楽徒然草
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