[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝#64 サブゥー

[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝

前代未聞のスタイル

今回は、インディの帝王、サブゥー選手のお話です。

サブゥー選手は、プロレスの枠を超えた前代未聞ともいうべきファイトスタイルは日本でも支持を得ています。

試合終了後にリング内に机を置き、机が壊れるまでムーンサルトプレスを連発するという無謀ともいえるパフォーマンスも有名です。メジャーやインディーを問わず、世界中の団体で幅広く活躍しています。

サブゥー選手は、おじさんのザ・シーク選手の手ほどきを受けて、1985年にプロレスデビューをしております。

当初は体の小さいサブゥー選手のプロレス転向には、難色を示していたというシーク選手でしたが、あまりにも熱心に甥が懇願するので、厳しいトレーニングを課しまして、そしてそこからプロレスデビューを果たしました。

命知らずのファイト

日本では1991年1月シーク選手のパートナーとして初来日を果たしました。

そこで、ハヤブサになる前の江崎選手らと、激しい闘いを繰り返していきます。

そんな中で命知らずのファイトスタイルが多くのファンの支持を得て行きました。

机や椅子を使った全力のラフファイト、自爆も厭わない「自虐的パフォーマンス」が話題を呼んだことで、次第にサブゥー選手は、命知らずのスーパースターとして名が知られるようになっていきました。

自分が大きくしたい

FMWのような小さな団体というのは、サブゥー選手には非常に居心地が良かったようで、後に新日本プロレスであるとか、全日本プロレスというメジャー団体にあがるんですが、インディーの帝王にとって、メジャーはあまり居心地は良くなかったようであります。

サブゥー選手の望んでいたことは、大きな団体の中の一員になるということではなく、あくまでも小さいプロモーションを助けて、自分が大きくしていくという風な野望があったようです。

この辺はどちらかといえばブルーザーブロディ選手のイメージに近いかなという風に思います。

基礎はしっかりしている

ただ本人が目標として定めていたイメージというのはザ・シーク選手はもとより スーパーフライ・ジミースヌーカ選手であったりとか初代タイガーマスク選手であったりとかそういった選手達だったようです。

お手本にした選手たちのファイトスタイルをミックスしたのがサブゥー選手のファイトスタイルの元になっているということなんですね。

サブゥー選手にしろザ・シーク選手にしろ、基本的な基礎というものは非常にしっかりしております。

しっかりしているからこそあえてそういった形を崩すということで名を残していった選手たちなんですね。

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