[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝#60 ハヤブサ

その江崎選手は1993年から海外遠征しメキシコを中心にして活動していきます。この時に「ハヤブサ」に変身いたします。そして、1994年に一時帰国をして Super J CUP に参戦します。

ここで獣神サンダーライガー選手と試合をして、大きなインパクトを残したことで、一躍世の中に躍り出ることになりました。

エースとしてけん引

この大会では、ハヤブサ選手をはじめ、いろんなスターが出てきました。

大仁田戦を経て、新生FMWではエースとして団体をけん引していきます。

無差別級の闘いへ

しかし、ハヤブサ選手はもともとジュニアの体だったわけなんですけれども、新生FMWでは無差別級の戦いをしていったことが、だんだん体の中にダメージを蓄積をさせていったのです。

1996年には手術のため長期欠場することになるんですけれども、エースとして強行復帰をせざるを得なくなってしまったんですね。

みちのく参戦

この辺からだんだんと雲行きが怪しくなってくるんですけれど、一つ転機が訪れます。

1996年10月にみちのくプロレスの両国大会に参戦して、ここで新崎人生選手に負けるわけなんですけれども、盟友・新崎人生選手とのつながりができまして、後年の全日本プロレス参戦に繋がっていくということになっていきます。

真冬の想い出

新生 FMWは、定期的に山口県 の防府市スポーツセンター大会を行っていました。その前にも山口県には、何回か来てるんですが、あちこちの会場で、いろいろやらかして会場を借りられなくしたことから、真冬の防府市スポーツセンターしかなかったというわけなんですね。

それでも貸してくれてただけマシではあるんですが、いかんせん2月は寒いなんてもんじゃないんです。防府市スポーツセンターは土禁で、しかもスリッパだと芯から身体が冷えるような会場でした。しかし一番近くで見られる FMW の大会ではそこしかなくて、防府市スポーツセンターには毎年2月になるといっていたわけなんですね。

ただ寒い

もともと私は冷え性だもんですから、本当にあの冬場の大会は、堪えるんですよね。身も心も削られる思いで、観戦していた想い出があります。

当時の観戦記をみても「寒い」しか書いていないという状態でした。

車いす生活に

1999年にエイチという素顔のキャラで再出発しますが、ほどなくハヤブサにもどります。2000年には再び腕を再手術しておりまして、翌年の5月の川崎球場大会で復帰をいたします。

そして、その年の10月後楽園ホール大会で頚椎損傷のアクシデントに見舞われまして、以降は車椅子の生活になってしまいました。

今となっては

2014年には200歩あるけるようになるところまで回復をしておりまして、プロレスラーとして再びリングに立つという強い意志のもとで活動をしておりました。

しかし2016年にくも膜下出血によってこの世を去ってしまいました。

ハヤブサ選手が心からエイチ という存在を受け入れて、キャラクターチェンジをしていたならば、選手生命は伸びたかもしれません。今となってはどうしようもないことですが・・・






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