[プロレス旅日記] 1990年代の私的東京遠征噺③狂乱の貴公子とG1クライマックス

1990年代の私的東京遠征噺③狂乱の貴公子とG1クライマックス

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第五回G1 CLIMAX

今回は1995年8月11日 -~15日に開催された第五回G1 CLIMAXの思い出です。両国国技館5連戦で行われたこの大会は、8選手による2ブロック・リーグ戦+決勝トーナメントで開催されました。

同点者が出た場合は勝ち試合のタイムが短い選手が上位となる形で行われ、武藤敬司選手が史上初、IWGP王者としてG1制覇(同時に2冠達成)しました。

いてもたってもいられず

この大会には狂乱の貴公子・リック・フレアー選手が、全戦参戦ということを聞きつけました。

私はいてもたってもいられずチケット購入して、東京まで馳せ参じ、時には友達の家を転々として、真夏の両国国技館に通いつめました。

印象深い試合

第五回G1 CLIMAXの中で印象深い試合というのが二つありまして、一つは武藤敬司対リックフレアー戦、もう一つは天山広吉対フレアーがあげられます。

武藤敬司選手がフィニッシュに使ったラウンディングボディプレスを決める際、フレアー選手は離れたところにいたんですね。

観戦し終わった後

しかしフレアー選手が体を転がせて、わざと武藤敬司選手の技を受け切るポイントに体を寄せていくシーンが見受けられました。

観戦し終わった後友人といろいろ話をしました。

わざと転がっていった

私にはリックフレアー選手が武藤敬司選手の技をより映えるように、綺麗に受けるためにわざと転がっていったのではないだろうかという思っておりました。

そのタイミングがずれていたため、修正しようとしたんではないかと思っています。

リック・フレアー・ショー

フレアー選手というのは試合中に修正をさりげなくやってしまう、そういう技術も持っていたと解釈したのです。

そして五日目に組まれた天山広吉戦は、これぞリック・フレアー・ショーとよべる試合だったんです、

次回は試合以外の思い出

これにも非常に満足しました。そう考えていくと、リックフレアーというのは稀代のスーパースターであり、同時に最も NWA らしい NWA 王者であったという風に言ってもおかしくはないなと思っているのです。

冒頭では泊まり歩いたとお話しましたが、次回は試合以外の思い出を語ってみようと思います。

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