[プロレス入場テーマ曲] プロレス的音楽徒然草 Don’t Let Me Be Misunderstood(悲しき願い)

[プロレス入場テーマ曲]プロレス的音楽徒然草
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ルチャリブレのコーナー

今回はアニマルズやサンタ・エスメラルダ、日本では尾藤イサオさんがカバーしてヒットした「Don’t Let Me Be Misunderstood(悲しき願い)」のご紹介です。

プロレス的に言うと、1984年10月20日から1987年3月までテレビ東京系列局で放送されていた、主に海外のプロレスを紹介の対象とした番組「世界のプロレス」における「ルチャ・リブレ・コーナー」のテーマ曲になっていました。

世界のプロレスが放送された時代

世界のプロレスが放送開始したのは1984年。WWFの全米侵攻がはじまったとはいえ、まだ他のテリトリーが何とか頑張ってた時代でした。

テレビ中継のなかった日本のユニバーサル・プロレス=第一次UWFが、この「世界のプロレス」で定期放送されることになったのも大きな話題でした。

第一次UWFは打ち切り

しかし、豊田商事関連の企業がスポンサーであったことが問題視され、UWFの中継はわずか2回で終了してしまいます。

その穴を埋めるべくスタートしたのがルチャ・リブレ・コーナーだったのです。

キル・ビルでも

Don’t Let Me Be Misunderstoodは、もともと歌手兼ピアニストのニーナ・シモンが1964年に初めてレコーディングして以降、多数のミュージシャンに採りあげられ、幾多のバージョンが生まれたスタンダード・ナンバーです。

特に近年では2003年にクエンティン・タランティーノ監督が創った映画「キル・ビル」で、サンタ・エスメラルダのバージョンが使用され、Don’t Let Me Be Misunderstoodは同映画のサントラ盤にも収録されました。

自分の入場テーマ曲を

さて、プロレステーマ曲マニアの「あるある」かもしれないんですが、一度は自分の入場テーマっていうのを考えたりした事ってないですか?

9月に突然死した私の友人もそういう妄想で遊ぶのが大好きな人でした。彼が自身のテーマ曲として選曲していたのが、実はサンタ・エスメラルダの「Don’t Let Me Be Misunderstood(悲しき願い)」だったのです。

聴きそびれてしまった

長い付き合いという事もあって、生前なぜこの曲をテーマ曲にしたのか、聴きそびれてしまったのが、個人的に悔いが残るところです。

ただ、彼は「Don’t Let Me Be Misunderstood(悲しき願い)」が大好きで、サンタ・エスメラルダ、尾藤イサオバージョンはもとより、アニマルズなどほぼほぼ全てのカバーをコンプリートしていました。

コレクションの散逸

残念ながら彼は独身の一人暮らしで亡くなってしまいましたが、彼が思い入れたっぷりに集めていたコレクションも、彼の死によっておそらく散逸してしまったと思われます。

これは、現在ステージ2の悪性リンパ腫と闘っている私にとっても、決して他人事ではありません。

私はまだ生きる気満々でいますが、それでもいつかは寿命がきます。その時に、今まで集めたコレクションがゴミの山化することはリアルに予想できます。

行き先の明文化

だからこそ、抗がん剤治療を受けている期間、自分がいなくなった後の、コレクションの行き先を、明文化しておく必要があるのかな?と考えるようになりました。

自分ではいくら思いいれがあろうが、関係ない人にとってはゴミにすぎません。言うても資料的価値のほかに、骨董品的価値があるものも、いくつかあります。

ですから、せめてコレクションが私のもとから旅立っていくにしても、その道筋くらいは作る責任があるのではないでしょうか。

生き死にのタイミング

くどい様ですが、私はまだまだ生きる気満々です。しかし、突然死した友人もそうだったとおもいます。そうはいっても通常の場合、自分の生き死にのタイミングは自分でもわからないものですからね。いかんともしがたいところです。

抗がん剤治療を開始してから、もしもの備えには随分助けられました。だからこそ、生前の意識がしっかりしているうちに、しかるべき内容を残しておきたいなと思います。






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