プロレス的発想の転換のすすめ(102)心理ゲームと闘い
心理ゲームとプロレス
今回は「心理ゲーム」とプロレスのお話です。
「心理ゲームとはなんぞや?」と思われたかもしれませんが、実は密接に関係のあるお話ですので、ご興味があればしばらくお付き合いください。
私は幼少期からさまざまな問題を抱えながら、そのほとんどを未解決のまま放置してきました。
その結果、後年になってからさまざまな病気に悩まされることになります。
病の根源を探る
現に私は今も「がん」と格闘中ですが、これも元を辿れば、未解決な問題を放置してきたことが根本にあると考えられます。
とはいえ、その問題解決の術をほとんどの方は知らないまま過ごしているのが実情ではないでしょうか。
心理学との出会い
私はたまたまですが、問題解決のヒントをつかむことができました。
それが心理療法を学ぶ学校との出会いでした。
以下、そこで習った内容を交えながらお話させていただきます。
交流分析の視点
人の悩みのほとんどは人間関係に起因することに着目した「交流分析」という心理療法があります。
交流分析は、対人関係を構築するうえで発生しがちな思い込みや問題行動を改善していくことを目指すものです。
ゲーム分析とは
中でも「ゲーム分析」は、人が陥りやすい不快なコミュニケーションのパターンを分析し、その改善に役立てるための心理学です。
これは「TA(交流分析)」という心理プログラムの1つになります。
自己のパターン
では、私の「ゲーム」の一つをご紹介しましょう。
これがどんなゲームになっているかというと、自分の不幸や苦痛を「こんなにひどい状況だ」と大袈裟にアピールすることで、他人の同情や関心を集めようとする構造になっています。
自分の不幸や苦痛を派手に嘆き悲しみながらも、それらの問題を具体的に解決する行動は取らず、「自分がどれだけ過酷な状況にあるか」を訴えて大騒ぎするわけです。
孤立を招く結末
病気の症状や苦しみを利用して「社会的な責任」を逃れたり、自分の不幸を強くアピールすることで「他者の支援・同情」を引き出したりします。
しかし、最終的には「大袈裟な人」「オオカミ少年」といった認識を持たれてしまい、誰からも相手にされなくなることも多いゲームなのです。
利得という罠
かつて私が遭遇したある事件においても、私はいくつか「旨味」を得ていました。
事件によって同僚の同情を買い、治療で休んでいる間の給与を加害者側から受け取ることで示談が成立したのです。
実は、この「大騒ぎ(ひどいもんだ)」と呼ばれるゲームを、私は今も続けてしまっています。
闘いの看板として
形の上では、がん保険が下りて金銭的な不自由がわずかに解消されたことや、がんを患っていることで周囲からの同情を受けている状況があります。
しかも「がん」という錦の旗を掲げていると、簡単にはオオカミ少年になりにくいという側面もあります。
誇り高い生き方
ところが、昨今の医療の発達により、がんは必ずしも不治の病ではなくなりました。
ということは、問題を放置し続ければ、いずれ私は「かわいそうながん患者」から、ただの「大袈裟な人」に転落しかねません。
そこでプロレスのチカラが必要になるわけです。
かつて私は、暴力とプロレスの線引きには「自分が観客にならなければならない」と書きました。
人生の主役を張る
しかし、それは自分の人生の傍観者になることではありません。
自らが問題を認識し、向き合って解決の道を探らなければ、ゲームは延々と繰り返されてしまいます。
アントニオ猪木選手はかつて、「踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ、行けばわかるさ」という詩を残しました。 自らリングに上がり、一歩を踏み出す勇気を持たなければ、自分の道は開けないのです。
魂のプロレスラー
つまり、リングに上がらなくても「自分はプロレスラーであり、自分の人生の主役なんだ!」という矜恃を常に持っておく必要があるのです。
生き様は、四角いジャングルの中だけで見せるものではありません。
「プロレスラーは、ただ強いだけじゃダメなんだ。人の痛みがわからなければならない」とジャイアント馬場選手が説いたように、自らの痛みを「同情の武器」にするのではなく、立ち上がるための糧にすることこそが、真のプロレスラーの姿ではないでしょうか。
最悪の形で表出したゲーム
プロレス界において、かつて「不穏試合」と呼ばれる凄惨な出来事がありました。
互いの信頼関係が崩れ、相手を光らせる(引き立てる)ことを拒絶し、ただ相手を貶めるためだけに牙を剥く。
これは、心理学で言う「ゲーム」が最悪の形で表出した姿と言えるかもしれません。
しかし、本来のプロレスは、相手の技を真っ向から受け止め、己の強さを証明しながらも、互いの価値を高め合う「究極の対話」です。
立ち上がる姿への「共鳴」
かつて小橋建太選手は、重い病や怪我に何度も見舞われながらも、「絶対に諦めない。俺はプロレスラーだから」という信念を貫き、不屈の精神でリングに復帰しました。
彼が求めたのは観客の「憐れみ」ではなく、立ち上がる姿への「共鳴」でした。
私たちも人生の苦難を、周囲をコントロールするための「ゲームのカード」にしてはならないのです。
ゲームに陥らない交流を目指す
自分が行っている対話は、単なる同情を買うためのものか?
それとも、自分の人生を主役として生きるためのものか?
それを常日頃から自分に問いかけ、相手の存在を尊重し、互いを高め合える「闘い」としての交流を目指す。
それこそが、プロレスの精神を人生に活かし、不毛なゲームから脱却する唯一の道なのです。

にほんブログ村
