[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝(93)中邑真輔

[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝

私的プロレススーパースター烈伝(93)中邑真輔

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2002年入門

今回は、キング・オブ・ストロングスタイルとしてアメリカWWEで活躍中の日本人スーパースター、シンスケ・ナカムラこと中邑真輔選手のお話をしようと思います。

中邑選手は、2002年、新日本プロレスに入門し、同年8月29日、日本武道館でデビューしました。

異例の待遇

中邑選手は、レスリングでの実績とデビュー前に総合格闘技のトレーニングを行っていたことから、当時の新日本の格闘技路線の申し子として期待を受けていました。

デビュー戦後はシリーズには帯同せずLA道場で総合格闘技のトレーニングを重ねるという新人としては異例の待遇を受けました。

史上最年少

翌年12月に当時史上最年少記録となる23歳9ヶ月でIWGPヘビー級王座を獲得。“暗黒時代”と呼ばれた低迷期を支え、現在のプロレスブームの立役者の一人として大活躍しました。

中邑選手は、2011年ごろから腕をダラリと下げて脱力するようなムーブを多用し始めます。

クネる

この時期を境に、独特のムーブに対して「クネる」という表現が使われるようになっていきます。

中邑選手のファイトスタイルは、キャリア初期は関節技を主体とした総合格闘技色が強かったのですが、肉体改造を行って身体を大きくし、パワーファイトも行うようになっていきます。

異種格闘技タッグマッチ

CHAOS結成後からはキックや膝蹴りなどの打撃技と大きな受け身を主体とし、近年の独自ムーブや唯一無二の言動は総じて「キング・オブ・ストロングスタイル」と称されて、アメリカでも支持されています。

私は新日本時代の中邑選手の試合を何度かみていますが、印象深かったのは、2014年5月3日のレスリングどんたくで行われた、桜庭 和志・中邑 真輔組 対 ホーレス・グレイシー・ダニエル・グレイシー組の異種格闘技タッグマッチでした。

結構異様

正直、プロレスのリングにあがったグレイシーは賞味期限がきれていましたし、既にくねりだして支持を受けていた中邑選手が、柔術ジャケットで試合をする様子は結構異様でした。

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試合はグレイシーハンターだった桜庭選手が一本取られましたが、中邑選手のジャケットマッチはこの当時珍しかったので、印象に残っています。

WWEへ移籍

中邑選手は、2016年1月12日、新日本プロレスを退団し、「あらたなる刺激、環境を求め」アメリカのプロレス団体WWEへ移籍します。

WWEでは異例の本名名義でデビューします。

ムタとの対戦

2017年4月4日にスマックダウンへ昇格し、2018年1月28日には、ロイヤルランブルのロイヤルランブルマッチに優勝しました。

2022年10月30日には、翌年1月1日に開催される、プロレスリングNOAH日本武道館で、引退する武藤敬司選手の「化身」グレート・ムタ選手と対戦することが発表になりました。

異例の事

WWE所属選手の他団体参戦は異例の事であり、中邑選手は2016年1月30日以来の日本マット界参戦となります。

古巣でなくあえてNOAHを選んだ理由として、中邑選手は「相手がグレートムタだったから」と語っています。

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