[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝㊶トリプルH

トリプルHの正式名称

今回は、選手としてはヒール一筋。役員としては、WWEの育成責任者でもある、トリプルHのお話です。

正式なリングネームは、正式のリングネームはハンター・ハースト・ヘルムスリー(Hunter Hearst Helmsley)だが、頭文字をとってトリプルHと略して表記、呼称されます。

ハーストはウィリアム・ランドルフ・ハースト、ヘルムスリーはレオナ・ヘルムズリーのアメリカで最も嫌われているとされる資産家両名から拝借したもので、ハンターには利を漁る者という意味があるそうです。

モチーフにした選手

選手としては、AWAの帝王であったニック・ボックウィンクルのスタイルをモチーフにし、リック・フレアーの後継者を自称しています。

特に相手の技を受けた時の動き(受身)にはついては「芸術」とも一部ファンから評されているほどです。

トリプルHは、1992年からキラー・コワルスキーのもとで修行をスタートし、プロレスのトレーニングを開始して3週間後の同年3月、コワルスキー主宰のインディー団体IWFでテラ・ライジング (Terra Ryzing) のリングネームでデビューし、半年後には同団体の王座を獲得しました。

1994年からはWCWに所属し、1995年からWWFに登場します。1997年、キング・オブ・ザ・リングでの優勝後、D-ジェネレーションX(略称DX)を結成、トップレスラーの仲間入りを果たします。略称のトリプルHの呼称を使うようになったのもこの頃からです。

執行役員として

トリプルHはストーリー上では2002年に離婚したステファニーと実際に2003年秋に結婚。マクマホン・ファミリーの一員となったことで、WWE幹部としてプロデューサーも務め、会社内の発言力を持つようになりました。

バックステージではボス格(選手会長的な立場)としても知られています。

トリプルHは、選手に対する面倒見もよいが、好き嫌いがはっきり別れるようで彼に「もう戦いたくない」と嫌われるとWWEでの出世の道は断たれるという説もあるくらいです。

ベテランとなった現在では若手世代を熱心に指導しており、NXT責任者として時には自らスカウトに乗り出すほどです。

また、武藤敬司選手の熱心なファンとしても知られています。ちなみに、トリプルHが初主演した映画「ブレイド3」で、トリプルHの吹き替えを担当しているのは、同じ闘魂三銃士の蝶野正洋さんです。このあたりに意外な縁があるのも面白いですね。

タイトルとURLをコピーしました