[プロレスブログ] プロレス的発想の転換のすすめ(106)「生きる」こととプロレス

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プロレス的発想の転換のすすめ(106)「生きる」こととプロレス

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「生きる」こととプロレス

今回は「生きる」こととプロレスのお話です。

世界のクロサワこと黒澤明監督の作品に「生きる」という映画があります。

社会風刺

主人公に胃がんを患っていることが判明したり、悲しいラストが印象深くもあり、ところどころに社会風刺が入っています。

「生きる」は喜劇映画なんですが、私はこの作品を見て笑ったことはありません。

シニカルな目線

この物語は、ゲラゲラ笑えるというより、シニカルな目線で日常が切り取られているからかもしれません。

「生きる」で有名なシーンに、住民の陳情が市役所や市議会の中でたらい回しにされる場面があります。

あまり変わっていない

この作品が作られた1952年、いや、それ以前から人間はあまり変わっていないような気がします。

実際、つい最近私も役所に相談しに行ったら、窓口をたらい回しにされた経験があります。

ため息しか

多分公開当時は、笑えていたのかもしれませんが、50年以上が過ぎても変わらずたらい回しに合う実情には、ため息しかでません。

ただ、50年の間に医療は飛躍的に進歩し、早期発見されればがんは不治の病ではなくなりました。

死ぬ気になれば

よく、死ぬ気になれば、生まれ変わったつもりで生きられる、と言われます。

実際、志村喬さんが演じる、胃がんを告知された主人公は、自分の余命を知って劇中で「生き直す」決断をします。

人は容易は変われない

ところが「もうすぐ死ぬ」くらいの切実さがないと、人は容易には変われないというのを私は昨年思い知りました。

そもそも慣れきった自分の生活から、社会システムから抜け出すなんて、なかなかできないのです。

ある日気づいたら

本当は明日死ぬかも分からないのに、とりあえず今日を平穏にこなすことで日々が過ぎていくだけ、というのが市井の人間の一生なのかもしれません。

そして、ある日気づいたら数十年も経っていて、はじめて愕然とするのではないでしょうか?

プロレスは人生の縮図

慣れきった自分の生活から脱却するのには、プロレスとの邂逅も一つの手です。

「プロレスは人生の縮図であり、闘いである」と主張したのは、アントニオ猪木さんです。

好きなことを愛して

道を一歩進んで、闘うことを選ぶことでも、人生は確実に充実していきます。

好きなことを愛して突き進み、 夢を叶えるためには勇気が必要なことに気付かされることもあるでしょう。

運と環境と向き不向き

まさにプロレスは人生の縮図なのです。

しかし、プロレスラーになるには、 運と環境と向き不向きが重要でもあります。

運と環境と向き不向き

皆が皆リングに立てるわけではありません。

ですが、その過程で積み重ねた努力は、決して後々の人生で無駄にはならないとさえ言い切れます。

生き直せば

プロレスは時に「自分は変わることができる」と思わせる力をもつエンターテインメントです。

仮に自分が思い描いた夢の通りにならなくても、それぞれの日常に戻ってから、変化した自分として生き直せば、新しい人生も待っているでしょう。

もし決意が鈍ったら

ところが、概ね日常に戻ると決意は鈍りがちになります。

いつしかまた元通りの生活サイクルを繰り返して、気がついたら時間だけが過ぎていくんですよね。

もし決意が鈍ったな、という気づきがあれば、それをなかった事にしないで、本当に自分が変わりたい、と思った時の切実な気持ちを思い出してみてくださいね。

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