プロレス的発想の転換のすすめ(70)新宿伊勢丹事件の記憶
憧れたプロレスラー
今回は、私が最初に憧れたレスラーと、その選手にまつわる聖地巡礼のお話です。
現在でこそ私はプロレスそのものが好きになっていますが、入り口には当然「あこがれの選手」という存在がありました。
私の場合、初めてテレビで見たプロレスラーは藤波辰爾さんであり、ヤマハブラザーズだったわけですが、あこがれとなると少し違ってきます。
衝撃の新日本初登場
あれは今でも覚えているのですが、リング上の山本小鉄さんを、ターバンを巻いた外国人らしき大男が客席から突如乱入して急襲したシーンがありました。
これが、かの「インドの狂虎」タイガー・ジェット・シン選手の新日本プロレス初登場のシーンだったわけです。
暴挙に釘付けの少年
当時小学生だった私は、茫然として画面に釘付けになっていました。
「だって、プロレスラーかどうかもわからない人間がいきなりリングに上がって、プロレスラーを襲うなんてことがあっていいのか?」と、当時は本気で思っていました。
新宿伊勢丹での惨劇
しかし、それを仕込みと片づけるには、まだ私は幼すぎました。シン選手は「二の矢」を放ってきました。
それが有名な「伊勢丹襲撃事件」です。
1973年11月、シン選手は2度目の来日中に外国人レスラー数名と組み、倍賞美津子さん(当時の猪木夫人)と買い物中だったアントニオ猪木さんを、新宿伊勢丹前で白昼堂々と襲撃し、警察沙汰となる事件を起こしたのです。
一般紙も報じた騒動
猪木さんは負傷・流血し、警察にも通報されました。
このことは一般紙にも「事件」として、でかでかと報じられました。
新日本プロレスに対する四谷警察署の対応は、「本当の喧嘩であれば猪木はシンを傷害罪で告発し、被害届を出せ。やらせであれば、道路交通法違反(道路無許可使用)で新日本プロレスを処分する」という厳しいものだったそうです。
狂虎がもたらした熱
これに対し新日本プロレスは、「やらせではない。シンは契約選手なので傷害罪で告発することはできないが、騒ぎを起こしたことは申し訳なく、お詫びならいくらでもする」と始末書を提出します。
事件は厳重注意で収まったものの、シン選手は「本当に狂っているのではないか」という印象を世間や視聴者に強く植え付けました。
以後、猪木さんはリング上で制裁を加えると公言し、猪木対シンの試合は因縁の「闘い」として世間の注目を集めることとなりました。
黄金期を築いた悪役
対シン選手との闘いで猪木さんが見せた喧嘩ファイトは、新日本ファンの爆発的な増加をもたらしました。
また、シン選手という「絶対悪」が存在する限り、日本人に受け入れられやすい「勧善懲悪」の世界を築くことができました。
これら一連のシン効果により、新日本プロレスには第一期黄金期が訪れることになったのです。
殺気漂う両者の死闘
両者の闘いは結局、猪木さんがシン選手の腕を折るところまで行き着きます。
これは、猪木さんの「全日本、馬場さんを超えたい」という思惑と、シン選手の「日本でトップヒールになりたい」という野望が合致して生まれたものだといわれています。こちらは実際、訴える・訴えないの話にはなっていませんからね。
しかし、合意……というか暗黙の了解の上とはいえ、ものすごい「狂気」を猪木さんからもシン選手からも感じますよね。
プロレスが教えた道
これで私が何を得たかというと、以下の2点でした。
①目的のためなら手段を選んでいる場合ではない
②5カウント以内なら反則にならないプロレスルールの奥深さ
いじめへの反撃開始
1点目については、当時クラス中でひどいいじめを受けていたことが背景にあります。
いじめっ子に対して正々堂々と立ち向かっては負けていた私は、シン選手を見習って「襲撃」という手段に出ました。
授業中に見えないところでコンパスの針を刺してくる嫌がらせをしていた女子に対し、授業のさなかにいきなりキレて筆箱で叩きのめしたのです。
今だから言えますが、その女子は普段から素行が悪く、逆に素行だけは良かった私は、キレてもお咎めはないだろうと判断してのことでした。
これがまんまと成功し、授業中に喧嘩を始めたにもかかわらず、私はお咎めなしになったのです。
苦い教訓と処世術
これが「5カウント内の反則」が成立した瞬間でもありました。
その後、コブラクローやかみつきを覚え、今度は私がいじめっ子を場所問わず(授業中を除いて)襲いまくるということを小学校卒業まで繰り返していました。
とはいえ、この成功体験を極端な形で覚えていた私は、大人になってから手痛い失敗をします。
未成年から傘で殴られた際、手を払いのけるつもりが、誤って相手の顔面に平手が入ってしまい、相手の歯を折る事態になったのです。
聖地新宿への思い
のちの警察での取り調べでは、私が被害者であるにもかかわらず、加害者扱いされて本当に困りました。
いくら正当防衛といっても、私の方が体も大きいし、相手は細身の未成年。しつこい取り調べに辟易させられました。
この一件を教訓に、「街ではなるべく低姿勢でいよう、事が大きくなる前に逃げよう」という処世術を学んだわけです。
そんな苦い経験もありましたが、初めて東京へ行った際には、真っ先に新宿伊勢丹へと赴きました。今でいう「聖地巡礼」を果たしてきたのです。
あの場所を目の当たりにした時は、本当に感慨深いものがありました。
あの襲撃事件の記憶は、私の中で今も色褪せない「良い思い出」として焼き付いています。
私の原点、伊勢丹
私にとっての「聖地巡礼」とは、単なる観光ではありません。
それは、幼い頃に見たプロレスの衝撃と、それによって変わった自分自身の歴史を再確認する儀式でもあります。
新宿伊勢丹の前に立つたび、あの日の狂虎の姿が脳裏をよぎり、私に「闘い」の本質を問いかけてくるのです。
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