- プロレス的発想の転換のすすめ | 【129】危機意識とプロレス
- プロレスへのもやもや
- メジャーと呼ばれる団体には概ね辛口
- 「メジャー」と「インディ」の定義
- 私の定義するプロレス
- 危険な方向に走るプロレスには賛同しない
- 危険な技の応酬
- それを支持した私の罪
- 人間離れしたモンスター同士
- はるかにボロボロな戦い
- 日本人対決が主流に
- ファイトスタイルで区分けするのは困難
- もともとの区分
- ジュニアの動きをヘビーが
- 視覚的違いが…
- 古来からのヘビー級
- 視覚的なインパクト
- 「重量感」や「説得力」
- 存在意義を脅かす
- 正しい受け身さえ練習していれば?
- ダメージが蓄積
- プロレスのレスは「レスリング」
- 「プロレス」が独り歩きすると
- レスリングをおろそかにしたツケ
- 体調不良は慢性化
- 何処か無機質なゲーム感覚
- 生身の人間に
- 振り子の揺らぎ
- 正常に戻すタイミング
- 観客に求められるままに
- 危機意識は正しく伝えるために
- モヤモヤをそのままには
- 非常ベルを鳴らす
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プロレス的発想の転換のすすめ | 【129】危機意識とプロレス
プロレスへのもやもや
今回は古参ファンのプロレスへのもやもやを語ってみます。
私はいにしえのプロレスファンですが、現在進行形のプロレスも生観戦しており、だいたい年20大会は見にいっています。
メジャーと呼ばれる団体には概ね辛口
国内のメジャーどころには関心が薄いですが、インディ団体や社会人プロレスは大好きでよく見にいきます。
メジャー団体に関しては配信という手段で観る事が多いですが、地元もしくは近隣に来た時はなるべく足を運ぶようにしています。
基本、自分の趣味がインディ寄りなんで、メジャーと呼ばれる団体には概ね辛口になります。
「メジャー」と「インディ」の定義
プロレス界における「メジャー」と「インディ」の定義は、団体の規模、知名度、ファン層、集客力などによって異なります。
ただし、自分の中では理想とするプロレス像があり、それにそぐわない場合はインディでも辛口になるのです。
私の定義するプロレス
私の好みは技や動きに説得力があり、闘いとして試合に意味を持たせられる内容を見せてくれる団体や選手ということになります。
つまり、「メジャー」と「インディ」の定義実際のプロレスをみているため、どうしても懐古趣味になりがちですし、言い回しを間違えると老害と呼ばれてしまいます。
危険な方向に走るプロレスには賛同しない
まあ、老害に関しては自覚があるので、言われても気にしないようにしていました。
しかし、本当は老害とさげすまされる事は怖いし、少数派の意見をわざわざ声高に主張することも怖いのです。
そんな自分を正当化するために、かつて応援してきた選手たちの悲惨な晩年をたくさん目の当たりにしてきた事実を持ち出して、危険な方向に走るプロレスには賛同しないというスタンスをとっていたのです。
危険な技の応酬
危険なプロレスという事でいうなら90年代に流行った四天王プロレス。あれには私も熱狂した一人でした。
今思うとあきらかにやりすぎなプロレスだったわけですが、当時は自分自身エスカレートする欲求が止められず、選手たちもまた熱にうなされるかのように危険な技の応酬に走ってしまいました。
それを支持した私の罪
四天王プロレスに対する熱狂は当時それを支持した私の罪でもあります。
だからこそ、今のプロレスに歓喜する今のファンに対して、否定的な意見を投げかける資格自体がないのです。
人間離れしたモンスター同士
思い返してみるに、プロレスは肉体と肉体がぶつかり合うコンタクトスポーツのはずです。
例えば、ハンセン対アンドレ戦みたいに、人間離れしたモンスター同士がぶつかり合うだけでも試合になっていました。
はるかにボロボロな戦い
ところが、サイズが小さい日本人対決が中心になると、迫力の不足分を、より一層の激しい攻防でカバーせざるを得ません。
相手から逃げずに攻撃を受け、派手に受け身を取る。日本人対外国人がスタンダードだった時代よりはるかにボロボロな戦いを強いられました。
日本人対決が主流に
こうして、いつしか日本人同士が戦いの中心になり、過激さに慣れたプロレスファンははるかにボロボロな戦いめるようになりました。
気がついたら私もその超人嗜好に染まっていたのです。
ファイトスタイルで区分けするのは困難
巨漢と呼ばれる選手が空中戦を行う現在、ファイトスタイルでヘビー級、ジュニアヘビー級を区分けするのは困難になってきました。
プロレスにおけるヘビー級とジュニアヘビー級の違いは、主に体重制限とファイトスタイルにあります。
もともとの区分
ヘビー級は、体重100kg以上の選手向けの階級で、どの団体でもジュニアがメインになることはなく、こちらの階級が各団体における主要階級です。
一方、ジュニアヘビー級は、100kg未満の選手が対象の階級で、100kg以上の選手は絶対に参加することができません。ジュニアヘビー級の試合は、体が軽くて小さい選手ばかりのため、バック転・バック宙を取り入れた技や体操の選手がやるような技など、アクロバティックな技が見られ、華のある試合が見られるのが特徴です。
ジュニアの動きをヘビーが
しかし、最近ではヘビー級の選手でも空中戦をする選手が増え、ジュニアヘビー級の特徴であったスピードやキレをヘビー級に持ち込む選手も増えてきました。
これにより、ヘビー級の試合の幅が広がり、視覚的な違いが少なくなってきています。
視覚的違いが…
したがって、ヘビー級とジュニアヘビー級の選手を見分けるのは難しくなってきています。
要するに昔だとジュニアの専売特許だった領域にスーパーヘビー級の選手たちが入り込んでおり、更には四天王プロレスに対するアレルギーが薄くなったからなのか、視覚的な違いが少なく試合が増えてきました。
古来からのヘビー級
プロレスにおけるヘビー級の試合スタイルは、その力強さと重厚感が特徴とされています。
古来からのヘビー級の試合は、選手の体格と力を活かしたパワーファイトが主流で、投げ技やパワーボム、スラムなどの力任せの技が多く見られました。
視覚的なインパクト
しかし、近年ではヘビー級の選手でも空中戦を取り入れるなど、技のバリエーションが増え、スピード感やテクニックを重視するスタイルが増えてきています。
これは、視覚的なインパクトや試合の展開の面白さを追求する結果とも言えます。
「重量感」や「説得力」
それでも、ヘビー級の試合にはその体重とパワーによる「重量感」や「説得力」が求められます。
これは、選手の体格と力を最大限に活かした試合展開や、技の見せ方、試合のストーリーテリングなどによって表現されます。
存在意義を脅かす
例えば、新日本プロレスのアントニオ猪木選手が育てた「ストロングスタイル」は、リアルな実力とグラウンドをベース重視したスタイルでしたし、ジャイアント馬場さんのプロレスは、その「重量感」や「説得力」が評価されてきました。
したがって、ヘビー級の試合スタイルは進化し続けているものの、その根底には「重量感」や「説得力」が必須であり、その境界線が曖昧になると言うことは、ヘビー級の存在意義を脅かすものになっていると思うのです。
正しい受け身さえ練習していれば?
正しい受け身さえ練習していれば、ヘビー級の選手でも五体満足でいられるのではないか?という意見に対しても私自身は懐疑的に思うようにもなってきました。
そもそもヘビー級はジュニアヘビー級以上の体重を背負っています。その分のダメージは自分の体に跳ね返ってきます。
ダメージが蓄積
したがって安全とされる受け身だって、取り続ければ身体にダメージが蓄積され、知らず知らずのうちに痛みや負傷箇所が慢性化していくでしょう。
人間はいつまでも若い頃のパフォーマンスができるわけではありません。最近自分でも加齢と共にそれは痛感しています。
プロレスのレスは「レスリング」
過激な受け身を取り続けることは、それだけ身体にダメージがたまっていきます。
プロレスは色々なジャンルがあって、スタイルがあったいいし、それこそがプロレスの多様性だと思います。
でもプロレスのレスは「レスリング」なのは変わらないはずです。あくまでもプロレスとは「プロフェッショナルレスリング」の略称であり、「プロレス」という独立した言葉ではないんですよね。
「プロレス」が独り歩きすると
この「プロレス」が独り歩きしちゃうと危険なんじゃないか、と私は思っています。
どんなに時代が変わってもやはり基盤であるレスリングは大事にしてほしいですし、それが出来る選手こそがリングに上がってほしいのです。
レスリングをおろそかにしたツケ
それをおろそかにしたまま「受け身は練習してるから大丈夫」といきなりアクセル全開にして踏みっぱなしになるような試合を、私はプロレスと呼びたくありません。
レスリングをおろそかにしたツケはいずれいろんなところに跳ね返ってくるでしょう。
間違った方向に突き進んでしまえば、大惨事がおこりかねないのも、プロレスです。
体調不良は慢性化
しかし、プロレスラーもプロレスファンも何処か感覚が麻痺しているかのような試合が最近多いように感じるんです。
レスラー側の、怪我を含めた体調不良は慢性化していると私はみています。
何処か無機質なゲーム感覚
それでも普段以上のプロレスを要求するTV視聴を含めた観客にはかつての自分を見るようで正直ゾッとします。
何か事故が起きても何処か無機質なゲーム感覚を感じでとても怖いんですね。
生身の人間に
こんなことを生身の人間に命まで要求して、本当に良いのでしょうか。
どの試合がどうとはいいません。ただ説得力にかける動きがたくさん見られる試合を私は好みません。
これが個人の感想で終わらせてヨシとしてしまう傾向にも私は違和感を感じています。
振り子の揺らぎ
ただ、プロレスでは危険になりすぎると選手や団体で少し軌道修正されたりして、またちょうどいい具合になって落ち着いてきた歴史もあります。
一旦安定はするんですが、時間が経つと選手やファンがハイクオリティーとか危険という刺激を求めて、更に過激な攻防になっていきます。
それがいいとか悪いとかはここでは語りたくないんです。もしかすると振り子の揺らぎみたいな、自己反省と軌道修正がなされて今日のプロレスがあるのならば、それはそれでアリだと私は思っています。
正常に戻すタイミング
ですが、問題はその振り子の振れ幅を正常に戻すタイミングだと思うんです。
かつて四天王プロレスをヨシとしてしまった世代のプロレスファンとしては、1.2の飯伏選手しかり、1.4から感じた熱狂から感じる違和感しかり、どうも腑に落ちないのです。
観客に求められるままに
かと言って、余計な心配をしすぎて盛り上がりに水を差したくない気持ちもあるのです。
これは好みの問題というより、長年見てきた人間の勘みたいなものです。
特にいにしえのプロレスラーのように、観客を手のひらの上に乗せられる技量をもつ選手が少なくなり、レスラーが観客に求められるままに観客の手のひらの上で踊らされている現状をみていると、老害扱いされても何か言わないといけないんじゃないか?このまま黙っていていいんだろうか?と常に思わされています。
危機意識は正しく伝えるために
その表現の匙加減は大変難しいものです。
しかし、危機意識は正しく伝えるためにはまず話してみることが必要です。
モヤモヤをそのままには
プロレスファン同士で不毛な口論をしても意味がないのです。
やっぱり自分は古い人間ですから、自分の中のモヤモヤをそのままにはしておけないですね。
非常ベルを鳴らす
それをどう形にしていたらいいのか?自分のプロレスファンとしての度量が問われている気がしてなりません。
そこら辺の匙加減の難しさを痛感しつつも、それでも折に触れて非常ベルを鳴らすのが、老害プロレスファンの役割なのかもしれません。