[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝#78 山崎一夫

[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝
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新日本入門

今回は2021年1月4日をもってワールドプロレスリングの解説を卒業された、もとUWFの山崎一夫さんのお話です。

山崎さんは、1981年、新日本プロレスに入門しますが、入門して1週間で「これにはもうついて行けない」と感じたそうです。ただあまりにも地元と合宿所とが近すぎて逃げると知り合いに見つかって目立つため、我慢して稽古に励んだのだそうです。

青春のミサイルキック合戦

山崎さんは、細身ながら、同じ頃に若手だった高田延彦選手らと名勝負を重ねます。この頃の得意技はミサイルキックで、初勝利もこの技でフォールを奪っています。同じ技を得意としていた高田選手との試合は「青春のミサイルキック合戦」と言われ、第1試合でありながら観客の入りが良く、評価が高かったのでした。

また、この頃に初代タイガーマスクの付き人を務めており、このことが、後のプロレス人生やファイトスタイルに大きな影響を与えます。佐山さんは山崎さんの5学年年上と年齢が近かったため、関係は堅苦しいものではなかったそうです。

第一次UWF時代

佐山さんがタイガージム開設すると、山崎さんも新日本を退団し、インストラクターを務めていましたが、1984年、佐山さんが第1次UWFへ参加することが決定した際、一緒に入団します。

1985年、佐山さんの第1次UWF退団時に、佐山さんとは袂を分かちUWFに残留するのですが、同年12月、団体崩壊に伴い、他選手たちと古巣の新日本に復帰します。山崎さんは主にIWGPジュニアヘビー級戦線やタッグ戦線などで活躍し、藤原喜明組長と共にIWGPタッグ王座を獲得したこともあります。

第二次UWFへ

1988年、前田日明が第2次UWFを旗揚げすると、これに賛同し新日本を退団します。新生UWFでは、特に旗揚げ戦でメインイベントで前田さんと対戦し、切れ味鋭いハイキックで再三ダウンを奪うなど、エースの前田さんと互角以上の戦いを繰り広げ、新生UWFのカラーを決定付けた試合として高い評価を受けました。

第2次UWF崩壊後は、1991年、UWFインターナショナルの旗揚げに参加します。高田さんに次ぐ2番手のポジションに就き、強豪外国人が参戦した際は、間接的に相手の情報を与えるなど、影のフィクサーとして活躍します。

新日本に再復帰

1995年7月にUインターを退団し、フリー宣言し、古巣・新日本への殴り込みを表明、再復帰を果たします。新日本所属となった1998年のG1 CLIMAXでは、過去のG1タイトルホルダーを破り決勝進出します。橋本真也選手との優勝戦では大激闘の末破れるも、その厳しくもけれんみの無いファイトに多くのファンが惜しみない拍手を贈りました。

これがレスラー人生最大の晴れ舞台だったと後年、山崎さん自身が、ベストバウトに橋本戦を上げています。

またタッグにおいて、名勝負が少ないと言われた新日本マットにおいて、蝶野正洋&天山広吉組と山崎&飯塚組のIWGPタッグ王座を巡る攻防は毎回名勝負となり、ファンを沸かせました。

引退後

2000年1月4日の対永田裕志戦で引退し、引退後は現役中に取得した国家資格を生かし、整体治療院を経営する傍ら、芸能活動も行っています。

2021年1月の新日本プロレス・東京ドーム大会収録をもって約21年間務めたテレビ朝日『ワールドプロレスリング』レギュラー解説者卒業を発表しました。

UWFプロレスメインテーマ

さて、山崎さんと言えば、UWFプロレスメインテーマを入場曲にしていました。UWFのテーマがはじめて世に出たと思われるアルバム「THE UWF」では「遊撃戦士」という山崎選手のオリジナルテーマが入っているんですが、実際使われたかどうかは不明です。

今わかっている時点では第二次UWFのころにハウンドドッグのROCKSを入場テーマにしていた記録があるだけです。

Uの魂を背負ったもの

UWFのメインテーマはいくつかバージョンがあり、オリジナルとされているバージョンが、山崎一夫さんの現役時代の入場テーマでもあります。

このアレンジバージョンがUWFインターナショナルのテーマとして存在し、選手退場時に流れていました。ですからUWFインター時代の山崎さんの場合、入退場でアレンジの違う同じ曲が流れていたわけです。

山崎さんの引退後はUWFの意思を継ぐ、あるいは自称でもUの魂を背負った選手が使用してきました。いったんは山崎さんのテーマになって、またUWFのもとに戻っていくというのも、面白いものだと思います。

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