[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝㊸ランディ・サベージ

野球選手出身

今回は、WWFやWCWで活躍したランディ・サベージ選手のお話です。

サベージ選手は、プロレスラーになる以前は野球選手で、1970年代前半までセントルイス・カージナルス、シンシナティ・レッズ、シカゴ・ホワイトソックスのマイナーリーグでキャッチャーとしてプレイしていました。

1973年11月、野球のオフシーズンにプロレスラーとしてデビューを果たします。その後、肩の故障で野球を引退してプロレスに専念する事になります。

覆面レスラーのザ・スパイダーや本名のランディ・ポッフォの名義でジョージアやフロリダなどのNWAの傘下テリトリーを転戦し、1977年下期よりランディ・サベージのリングネームを用います。

天龍との邂逅

そして、1984年からは当時妻だったエリザベスと共にWWFに登場します。

マッチョマンの来日は、意外と遅く、1990年のWWF・全日本・新日本の3団体合同で開催された東京ドームにおける『日米レスリングサミット』で初来日します。

サベージは天龍源一郎と対戦します。当初典型的なアメリカン・プロレスのショーマン派レスラーと思われていたサベージと、無骨なタイプの天龍の試合はミスマッチかと思われましたが、試合巧者であるサベージ選手と、アメリカ遠征時代にアメリカン・プロレスに触れていた天龍選手という、互いの秘めた持ち味が存分に引き出された好勝負となり、サベージの日本での評価を大きく高めました。

天龍とは、彼がのちに移籍したSWSとWWFが提携していたため、SWSマットでも対戦しています。同マット上ではタッグも結成しました。

WCWに移籍後は、WCWと提携関係にあった新日本プロレスの大会に数回来日しています。また、空席が目立ったWWFのマニアツアーでもエース格として来日し、大阪ではタッグマッチと、ロイヤルランブルの二試合に登場し、大いに会場を沸かせました。

WCW〜死去まで

1991年年8月26日には、マディソン・スクエア・ガーデンで行われたサマースラム1991にて、エリザベスさんと結婚式を挙げました。前述通り、実際にはサベージ選手とエリザベスさんは、1984年に結婚しているが、ストーリー上では恋人同士の関係ということになっていました。

のちにサベージ選手はWCWに移籍し、nWoにも加入しますが、WCW離脱後の2011年5月20日朝、フロリダ州のハイウェイで自動車を運転中、心臓発作を起こしてコントロールを失い木に衝突し、死亡が確認されました。58歳没。

なお、没後の2015年、サベージ選手は、WWE殿堂に迎えられています。この時のコンダクターは盟友である、ハルク・ホーガン選手が務めています。

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