[プロレス観戦記] 北九州市制50周年事業イベント「秋の皿倉山!おにぎり早食い大会&スタンプラリー」INがむしゃらプロレス

北九州市制50周年事業イベント「秋の皿倉山!おにぎり早食い大会&スタンプラリー」INがむしゃらプロレス

(2013年10月27日:日:皿倉山頂・帆柱自然公園)

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北九州市の社会人プロレス団体「がむしゃらプロレス」の試合やイベントのレポートブログです。小倉城でのプロレスや門司赤煉瓦プレイスでの大会など、地元の魅力を盛り込んだプロレスを見て、感じて、応援してください。

イントロダクション

台風一過。予報ではあきらかに地表と違うえらい低い温度が示されていた皿倉山。622.2mの標高をもつのこの山は北九州有数の高さ。

山の気温をなめてかかるとえらい目に合う。とはいっても普段は通り過ぎるだけで実際のぼる用事もないため、道順もわからないし交通機関を使おうと思って、下関駅前まで車で出て、そこからJRを使用、小倉で乗り換えて各駅停で八幡へ。

八幡駅ビルが改装されたことは知っていたが、実に30年ぶりに訪れてみれば、ホームから下って、改札でまたのぼる階段が昔のまま・・・まさに逆バリアフリーな作り・・・・これじゃ、人来ないよね。

で、皿倉山へは無料のシャトルバスが運行されていた。実は山頂からの往復で1200円かかると聞いていたので、それはないよなと思っていたんだけど駅からふもとまでただでのせてもらえると知って、これは断然こっちがお得だなと思った。

シャトルバスをおりてすぐにケーブルカーがあって、それが5分で山腹まで運んでくれる。

常時運転してるケーブルカーはこの近辺ではここにしかない。

ちょっとした観光気分だった^^そして山腹から今度はスロープカーで山頂へ。ここに各テレビ局などの無線基地局があって、その横の公園でイベントが開催されるのが、この日だった。

ただ、山を登ってくるという難関があるためいつものイベント試合より人が少なめかなと思っていた。

福岡では他団体も試合してたし、この時期は各種スポーツ行事で親御さんは大変な時期でもある。事実いつもよりは少なかったけど最終的には盛り上がった。

オープニング

試合前には長淵剛の歌マネシンガー・ 英二さんの迫真のライブ!いや、もともとがミュージシャンということを差し引いても本物より格好いい人というのはそうそう例がない。

実はリハーサルから見学してたんだけど、リング上でも実は歌いなれてるらしく堂々としたパフォーマンスだった。

最後にオリジナルのがむしゃらプロレスのテーマを披露してくれたが、これが名曲!長淵のCDは一枚も借りようとも買おうとも思ったことのない私が本気でほしいと思ってしまったほどの名曲!いや~これは鳥肌もんでした!

いや、いいもの聞かせてもらいました。またどっかで生歌聞きたいなあ・・・

第一試合

○ニコラス今中ジョリー 対 ●DEIZEL

で、リング上の選手をみてるとこの自我状態がものすごくわかりやすいのだ。なぜかというとレスラーである前に彼らも人間であるため、この例にもれないからである。ではリング上のニコラスはどうか?「やりたい技がしたい。今やりたい。今とんじゃお!」というのが普段の空中戦→自爆というとき。この場合ニコラスは「子どもの自我状態」になっている。もし成人の自我状態に切り替わっていたら、事実を見ることができるので「ここは今飛ぶところではない」という認識ができるんだけど、それが弱く子どもの自我が強くなると失敗する。しかし失敗を恐れすぎると今度は「今ここで飛ぶべきではない」「飛ばないようにしないといけない」という「親の自我状態」が強くなって試合が委縮する。失敗を恐れるあまり躊躇しだすのだ。これも「成人の自我状態」が働いていると適度に自分をコントロールできるんだけど、ニコラスの場合、リング上では親か子どもにしかなれてない。

で一方、リング上のDEIZEL。これはもう「成人の自我状態」の典型例。事実を淡々と突き詰めて冷静で客観的。でもこの成人の自我がやりすぎると「冷たいコンピュータのような」「事実志向が強すぎる」「冷酷」というとらえ方もされる。要するにリング上の役割としては完璧な「冷たい悪役」。そして成人の自我は親や子どもの自我を客観的に分析してコントロールできるので相手が燃えてくればくるほど術中にはめやすい。

というわけで試合はどこか委縮したニコラスが事実をあくまで冷静にみているDIEZELにいいようにやられるという展開に。しかも心がどこか委縮してるので、フィニッシュにもっていった変形ぺディグリー?の腕のロックが外れてしまい、DEIZELはまっさかさま。そのまま3カウントになってしまった。誰がどう見てもヘビーのニコラスがジュニアのDEIZELに辛勝して(クレイジークレバーが数頼みでくるのはニコラス本人も予想していたので勝敗要因にはいれてない)、しかもその勝ち方がミスした技で勝ちを拾ったという微妙でなんともいいようのない結果になってしまった。同じ展開でもやりようによってはセコンドの介入もあって苦しい中一発逆転で勝利をもぎ取ったという見せ方にもできなくはないんだけど、心のさまがそのまま形にでてしまうと同じ内容でも不完全燃焼になるという典型的な試合だった。

第二試合

●パンチくん&ジャンボ原 対 ○阿蘇山&タシロショウスケ

で、さっきの自我状態をこの中で例示できるのはのはパンチくんということになる。酔っ払いなんで親の「~せねばならない」という自我にはいないことが多い(あくまでパンチくんとして見てるので中の人の心理状態はこの例にはあてはまらない)のは当然。泥酔してるんだから、普段からやりたい放題してる「子どもの自我状態」にあることは一目瞭然。しかしこの酔っ払いのおっさんがただものではないところは、泥酔していながら「成人の自我状態」を使っているため、事実を客観視できるところなのだ。飲んでないニコラスが「子どもの自我」(か、親の自我)でしかないのとは全く対照的なのである。

タシロとジャンボは例としてはわかりにくいので飛ばすけど、対角コーナーにいる阿蘇山は完璧に「親の自我状態」。まあ、がむしゃらのコーチでもあり、パンチくんとは師弟関係にあるうえ、今九州プロレスではヒールもやっている。どうしても「親の自我状態」になりやすい立ち位置にいることは一目瞭然。そして厳しいだけでなく、あたかたい親の目線も持ち合わせている。事実、がむしゃらのメンバーにはおおいに慕われているわけだし。その名通り阿蘇山のような懐の深さは同時に試合をコントロールする成人の自我状態をちゃんと持ち合わせている。だから「~しなくてはならない」という感じはそれほどない。むしろ前のキャラの時の方が「こわくなくてはならない」という呪縛に縛られていた感じがする。阿蘇山の試合の方がのびのびしてみえる秘密の一旦はそこにあると分析できる。

ただ、「~ねばならない」というのは時には必要な要素でもある。過度に働きすぎると残念な結果になるが、自分を律してより向上しようというときには大いに役立つもの。ものごとにはなんでもプラスとマイナスの面がある。行き過ぎると本人が苦しくなったり問題になったりするということなのだ。

ということでここ数試合のジャンボの向上心はその親の自我状態が効果的に発揮されている好例だろう。そして「やりたい」という子どもの自我状態を上手に成人の自我で管理できているという風に見える。ブロックバスターホールドも精度をあげれば、この技の使い手でもあったミスター雁之助レベルには行けよう。またタシロのレインメーカーもだんだんレヴェルがあがりつつある。この2つは今後脅威となりえる技だと思う。

で、入場時、屋外ということもあって必要以上に煙を巻き散らかしていた阿蘇山が「噴火するバイ!」(すでに噴火はしてたけど^^)でマグマドライバーからのマグマスプラッシュでパンチくんをピンフォール。この日は討伐団モードではない、オリジナルの阿蘇山が終始見られて、いかにも屋外の試合らしいのびのびした試合になった。

第三試合

○マスクドPT&鉄生&LOCキッド 対 ●JERONIMO&TA-KI&TOSSHI

悪のユニット同士の対決。本来ならば正規軍対悪の軍団という図式の方が一見さんにはよりわかりやすいのだが、がむしゃらの中で一番盛り上がってるのが悪の軍団抗争なんでこれはもう仕方ない。で、この両ユニットも実は自我状態で分析可能なのだ。LOCはとにかく「ねばならない」が強いユニット。「強くあらねばならない」「悪くあらねばならない」という、いわば旧来型の、でもそれを成人の自我で管理してる「親の自我状態」の悪役。一方クレイジークレバー(CC)は「子どもの自我状態」。いっておくがこの場合の子どもとは決して「幼稚」とか「考えなし」ということではない。誰しもが持ち合わせているものなんで、タイプ分けをするならばこの要素が強いということにすぎない。もちろんCCも全体がよく見えているのでこちらも子どもの自我を成人の自我がちゃんと管理できている。で、子どもの自我状態は「すべての自我のふりができる」という使い方ができて、これも誰しもが持ち合わせているものではあるのだが、その傾向が一番強いのが誰あろうJERONIMOなのである。

厄介なのはだいたい本心と違うことをしてると、普段の生活ではストレスフルになっていくのだけど、リングの上では逆になるということ。つまり、のびのびと子どもの自我状態で戦っているようで実は成人の自我が働いているので、コントロールができている。そして適度に「お客さんを楽しませねばならない」という自我も使っているので、本当に理想的な悪役になっているといっても過言ではない。ちなみにTA-KIも子どもっぽいことをしてるけど、実はちゃんと計算してるし、「~ねばならない」部分もわかっている。

だが「~ねばならない」タイプのLOCにも一人だけ成人の自我で親と子どもを使いわけている人間がいた。それがマスクドPTである。しかも全部の自我状態の機能を本能的に理解して瞬時に使い分けている。そのスピードで対抗できるのはおそらく現時点でもSMITH以外にはいない。JERONIMOは本人も言う通り「まだまだ進化していく」途中のレスラーでもある。その辺が差になって表れたかな?この「わかってるもの同士」の間で試合の決着がついたのは面白いなと思った。満身創痍のPTがPTコースターを出してきたのも、GAM1の悔しさゆえだったのかもしれない。あえて自分に「この技を出して勝たねばならない」と自分にほどよい形で負荷をかけていたとしたら、やはりこの日のLOCは強かったといわざるを得ない。サポートした鉄生とキッドも抜群だったし。

試合後LOCに「どこがクレイジーなんだよ?どこがクレバーなんだよ?」といわれたからには、やはり集団戦に絡めた頭脳戦が今後もCCの肝になっていくのは間違いあるまい。実はともに悪いことをしていながらタイプが全く違うということを、心理学的要素でもはっきりさせることができるのが、がむしゃらプロレスの面白いところなのだ。

後記

試合後はおにぎり早食い大会がリング上で行われた。実は事前におにぎりをみてしまったんだけど大きさもばらばらだし、話によると塩がかけてないらしい、そのうえなんか堅そう・・・という理由で観客として応援することに。最終組ではマスター、NIKKY、阿蘇山の3人が挑戦。阿蘇山はさすがの食いっぷりで他を圧倒していたが、ちゃんと素人さんに負ける心配りをしていた。しかしそのおかげで阿蘇山はユーモア賞を受賞。景品の米袋を担いだその姿は異様にさまになっていた。

NIKKYが自分のおにぎりをマスターに「これはたくあん」といって無理やり食わせるなどといった反則し放題、やりたい放題なことをしていたこともあって、優勝は無事一般の方にいくことになった。気が付けばこの時点で16時前。日差しは強いのに下が寒いという状況が一層つよまったので、おいとますることにした。下山したら普段なら寒く感じる気温でも暖かく感じてしまった。山の気温差はやはり侮れない・・・・

この日は風がいいせいか、パラグライダーがいくつも宙を舞っていた。こんな近距離からパラグライダーをみたのもはじめてだった。なんかいい感じだったなあ。空気もおいしかったし。

もともとプロレスは非日常なものだけどプラス山という新しい非日常が加わって今までにない大会になった。また来年もこの時期に皿倉山にのぼってもたいものである。ありがとうございました^^

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