[プロレスコラム] プロレス想い出回想録 猪木について考える事は喜びである③巌流島に纏わる思い出

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プロレス想い出回想録 猪木について考える事は喜びである③巌流島に纏わる思い出

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はじまりは藤波

アントニオ猪木の代表的な試合の一つに、巌流島の戦いがある。

もともとは、1987年4月、下関市での興行の合間に関係者で、火の山公園を訪れ、展望台から巌流島を見た藤波辰爾が「あそこで俺と長州がやったらおもしろい」と提案したのがはじまり。

1987年10月4日

その後、7月にテレビ朝日から特番の企画案の要求があり、巌流島のアイディアを伝えたところ、採用されたものの猪木が名乗りを挙げ、テレビ朝日も同調し猪木対マサの対決となった経緯がある。

1987年10月4日、マサ斉藤と2時間5分14秒に渡る死闘を繰り広げた史実は、2022年現在、公園化され整備された巌流島の史碑にも刻まれている。

社会人として

猪木対斎藤戦がおこなれた頃、巌流島は未開発の野っ原で、しかも渡船もなかったからか?当初よりノーピープルマッチになることが発表されていた。

昭和62年というと、個人的には社会人として働き出した思い出がある。

後々聞いた話では

当然新人営業マンの自分は、後年のように仕事を抜け出して見にいく事も叶わず、全国のプロレスファン同様、テレビ観戦するしかなかった。

ただ、後々聞いた話では、マスコミが手配した漁船に潜り込んで、上陸を果たした猛者がいたそうである。

異様な雰囲気

また、上陸は諦めても、巌流島が肉眼でみえる海岸沿いには、一目みたいとファンが詰めかけていたそうだ。

上空を飛び交う複数のヘリコプターをはじめ、普段は静かな関門海峡が異様な雰囲気になっていたようだ。

馳対シン

巌流島といえば、1992年1月4日の東京ドーム大会で、アントニオ猪木との対戦権をかけて争った、馳浩対タイガー・ジェット・シンは、ここまで騒がしくもなかった(馳対シンの巌流島での対決は、1991年12月18日)。

なんなら試合が行われていた事すら、私は気づかずに、東京ドームに行ってから、ドームの巨大ビジョンで、巌流島の試合を見るというおかしな体験をしたのである。

イベント広場では

さて、巌流島は2003年に公園整備され、島北端の船着場から北東一帯が公園として整備され、人工海浜、多目的広場、展望広場などが設けられている。

コロナ禍前は広場でイベントも開催され、一時期はプロレスも行われていた。

レジェンドプロレス

2012年5月5日、初代タイガーマスクがレジェンド・ザ・プロレスリングの大会を開催している。

こちらは、武蔵・小次郎決闘400年記念のチャリティーや地域活性化を兼ねたイベントとして有観客で行われており、私も観戦している。

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25年の時を経て

ちなみに、Wikipediaに記載されている、藤波辰爾&ヒロ斎藤vs長州力&大谷晋二郎戦はセミファイナルで、メインは佐山タイガー対ウルティモ・ドラゴンのシングルマッチだった。

とはいえ、タッグマッチとはいえ、25年の時を経て、有観客で長州対藤波が巌流島で行われたのは、まぎれもない事実である。

極秘訪問した?

さて、公式な記録には残されていないが、この巌流島の闘いのあと、猪木が巌流島を極秘訪問したという噂がある。

一説では、小川直也と初代タイガーマスクを伴っての訪問だったようで、メンツからしてUFO時代と思われる。

もし実現していたら

もしかしたら、当時小川が抗争していた橋本真也との闘いが計画されていた可能性も考えられる。

結果的にそれが、先に繋がるものにはならなかったけれど、もし実現していたら、どんな光景が見られたのだろうか?

プロレス想い出回想録
プロレス“ザ・モンスター”ハラダが自らの体験を赤裸々に綴った回想録記事です。長い期間プロレスを見てきた彼が抱えてきた出会いと別れ、予想外の悲しみ、そして「楽になりたい」という想いとは?彼が「書く」ことで得た救いとは何だったのか?感動必至の一読です。







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