【プロレス】私的プロレススーパースター烈伝(113)ダイヤモンド・ダラス・ペイジ

[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝

私的プロレススーパースター烈伝(113)ダイヤモンド・ダラス・ペイジ

セルフ・ハイ・ファイブ 

今回はプロレス界では人格者として知られ、トレードマークである、セルフ・ハイ・ファイブというハンドサインで知られるダイヤモンド・ダラス・ペイジ選手のお話です。

ダイヤモンド・ダラス・ペイジ選手、略称DDP選手は、アメリカ合衆国の元プロレスラーであり、俳優でもあります。

 35歳で再デビュー

1979年にカナダでデビューしましたが、すぐに業界を離れ、フロリダ州マイアミでナイトクラブを経営していました。

しかし1988年にAWAでマネージャーとして再デビューし、1991年にWCWで選手として正式にデビューします。この時DDP選手は35歳になっていました。

 WCW王座三度戴冠

その後WCW世界ヘビー級王座を3度戴冠し、主役級の一人として活躍しました。

2001年にはWWFと契約し、主力レスラーとして迎えられました。

WWEで首を怪我して、引退した後はヨガの教室を開いていましたが、薬物乱用で体を壊した元レスラーたちを回復させるなど、再び存在感を示しました。

 元祖はエース・クラッシャー

彼の代名詞であるダイヤモンド・カッターは、元々ジョニー・エースさんが使用していたエース・クラッシャーという技を改良したものです。

これは、技をかける相手の正面に背中を向けて立ち、相手の頭を肩に乗せ、頭を持ったまま前方に大きくジャンプし自らは仰向けに倒れ、うつ伏せに倒れる相手の顔をリングマット、あるいは肩に叩きつける技です。

 フィニッシャーとして使える

ダイヤモンドカッターは投げ技に分類される場合と、打撃技(打ち付け技)に分類される場合とがあります。

技術をあまり必要としないにもかかわらず見た目が良く、フィニッシャーとして使用できるだけの説得力がある技なので、多くのレスラーがこれを応用した技を開発しています。

 RKOも

一番有名なのは、現WWEでランディ・オートン選手が私用しているRKOでしょう。

技名はオートン選手の本名であるランディ・キース・オートンの頭文字を掛けたものという説が有力です。

 DDPに許可をもらった

オートン選手は使用を始める前にはダイヤモンド・ダラス・ペイジに許可をもらったとコメントしています。

RKOは背中越しに相手の首を右肩に捕らえて放つ、飛びつき式のダイヤモンド・カッターです。

 バリエーション豊富

もともとダイヤモンドカッターは、ジョニー・エースさんと親交のあったペイジ選手が教えてもらい、ダイヤモンド・カッターの名でフィニッシュとして使用しはじめたのが最初です。

ネックブリーカーのように首を捻ったり、ランニング式、ファイヤーマンズキャリー式など様々なバリエーションが存在します。

 商標訴訟

また彼のトレードマークである、セルフ・ハイ・ファイブというハンドサインは彼のファンとのコミュニケーションの一環であり、彼の親しみやすさを象徴しています。

しかしセルフ・ハイ・ファイブを巡っては、2005年にヒップホップMCのジェイ・Zさんと商標訴訟を起こしたことでも有名です。

2007年勝訴

DDP選手は1990年代からセルフ・ハイ・ファイブを使用しており、1996年に商標登録していました。

裁判は2007年7月にジェイ・ZさんがDDP選手に使用料を払うという内容の和解で決着したため、このサインのオリジナルはDDP選手であると認知されています。

 入場曲は

ただ、WCW時代に使用していた入場曲「Self High-Five」は、史上最もあからさまなニルヴァーナ「Smells Like Teen Spirit」のパクリとしても有名な入場テーマ曲となっています。

この曲は、ニルヴァーナの「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」の音符の一部を入れ替えただけであるため、権利の都合でWWF移籍後は使用されなかったと言う逸話もあります。

 謙虚で親しみやすい性格

DDP選手のキャリアは多岐にわたり、プロレス界で非常に尊敬されている人物です。

彼は多くの同業者やファンから人格者として知られています。

謙虚で親しみやすい性格で、他のレスラーやファンとの交流を大切にし、自身の成功を謙虚に受け入れている人物です。

 元選手の回復をサポート

引退後もプロレス界に貢献しており、元レスラーたちの回復をサポートしています。

薬物乱用で体を壊した仲間たちを励まし、再び健康な状態に戻すための活動に尽力しています。また、スコット・ホールさんやジェイク・ロバーツ選手など、依存症に苦しむレジェンドたちの回復にも大きく貢献しました。

 DDPヨガ

ダラス・ペイジさんは、ヨガとリハビリ体操を組み合わせた独自のフィットネスプログラム「DDPヨガ」を開発したことでも知られています。

DDPヨガは、伝統的なヨガに動的な抵抗運動と心臓血管運動を組み合わせたユニークなプログラムです。

DDP選手は、自身が腰痛から開放された経験から、このプログラムを考案したそうです。

 ブリット・ベイカーも

DDPヨガは、身体を痛めたプロレスラーだけでなく、一般の人々にも効果的なんだそうです。

現在、AEWブリット・ベイカー選手の復帰に向けて、DDPヨガでサポートしていることも明らかになっています。

ブリット・ベイカー選手はDDPヨガのエクササイズを行い、復帰に向けて頑張っているようです。

 誰でも取り組める

DDPヨガは、ユニークなフィットネスプログラムで、伝統的なヨガのポーズと動的な抵抗運動を組み合わせています。

DDPヨガは、年齢やフィットネスレベルに関係なく、誰でも取り組めるプログラムになっているそうです。

 伝統的ヨガとの違い

インドの伝統的ヨガとDDPヨガは異なるアプローチを持っています。

インドの伝統的ヨガは瞑想に重点を置いています。座りながら行う瞑想は、心の統一と内なる平和を追求するための重要な実践です。

 DDPヨガの特色

対して、DDPヨガは伝統的なヨガのポーズと動的な抵抗運動を組み合わせたユニークなプログラムです。

DDPヨガは伝統的な瞑想よりも動的なエクササイズに焦点を当てています。

 身体の調和と健康を促進

DDPヨガは伝統的な瞑想よりも動的なエクササイズに焦点を当てているため、瞑想は含まれていませんが、身体の調和と健康を促進します。

身体の柔軟性、筋力、バランスを向上させるために効果的なDDPヨガに対して、伝統的なヨガは瞑想を通じて心と精神の調和を追求します。

 自己効力感を高める

どちらも異なるアプローチで、個々の目的に合った選択肢として存在しています。

ペイジ選手は自己効力感を高めるためにポジティブな自己対話と目標設定を行い、困難に直面してもそれを乗り越える強い意志を持っていたそうです。

 小さな成功を

自己効力感の源泉である成功体験、代理経験、言語的説得、そして感情的な興奮状態を活用し、小さな成功を積み重ねてきました。

そうして他の成功したプロレスラーから学び、コーチやファンからの激励を受け、試合前の緊張感をポジティブなエネルギーに変えることで、ペイジ選手は自己効力感を高めていきました。

 健康改善に貢献

ペイジ選手は首を負傷し、WWFを退団していますが、自身の健康問題を克服し、DDPヨガを開発することで、他のプロレスラーだけでなく、一般の人々の健康改善にも貢献しています。

DDPヨガのプログラムは、医師から二度と歩けないと宣告された退役軍人を走るまでに回復させたという驚くべき成功例もあるのです。

自信をもって主役として生きる

最終的には、大きな成功を収めることができ、数々の王座を獲得し、2017年にはWWE殿堂入も果たしてプロレス界に名を残せたのです。

DDP選手は自分自身を大切にすること、自分の価値を認識すること、そして自分の人生に責任を持つことは、自信を持って主役として生きるための重要なステップだということを我々に教えています。

 教科書にもなる

私にはこの自分の人生の主役が自分であるという認識が薄く、そのために長い間しなくていい苦労をしてきました。

そういう意味ではDDP選手のような存在は、私のような人間にとってはある意味教科書になりえると考えています。

 自分が自分でいられる

DDP選手のように自分の人生の脚本を自分で書き、自分の物語の主人公であることを受け入れることで、人生はより充実したものになるでしょう。

自分が自分でいられることほど、楽なことはないでしょうから、その一助としてプロレスから学べる事は多いと思います。

DDP選手が歩んできた歴史を参考にして、自分で取り入れられるものは実践してみるのも、人生を歩む上で自分が自分でいられる大切な取り組みなのではないかと、私は思っています。

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