プロレス的発想の転換のすすめ(83) 執着を手放す闘い
執着と手放し
今回は「手放していくこと」についてお話ししたいと思います。
これまでの人生を振り返ると、ずいぶんと長い間、さまざまなものを手放せず、むしろしつこいくらいに執着してきたように感じます。
表出への抵抗感
モノでもヒトでも思い出でも、とにかく手元に置いておきたい。
頭の中から出したくない。
その思いが強すぎるあまり、実は「アウトプット」という行為にものすごく抵抗を感じて生きてきました。
記憶の保存状態
こうした記事も、抵抗を感じつつ自分の中から溢れ出てきたものが形になったとお考えください。
しかし、それらが私の中で本当に大切に保管されてきたのかと言えば、決してそうではないのです。
譲れない大切なもの
むしろ割と粗末に扱っていたため、自分自身でも長いこと「大切なものをなぜ粗末に扱うのか」「本当は大切ではないのではないか」と疑問に思ってきました。
しかし、よく振り返ってみれば、生きがいであるプロレスやアニメ、映画などは、私にとって自分自身と切り離せないものであり、間違いなく大切なものなのです。
命を粗末にする心
ところが、私は最も大切であるはずの「自分の命」を、どこか粗末に扱って生きてきました。
もともと死を意識して生きてきた私のような人間が、自分を大事にする生き方をしていたら、それは大いなる矛盾になってしまいます。
有限な命の活用法
私には「自分を大切にする」という習慣が身についていません。
しかし、執着の中には間違いなく「生きがい」を大切に思う気持ちが存在します。そして、人間の生命には限りがあることも事実です。
記憶を呼び覚ます
特に知的財産は、外に出さない限り価値を生みません。
私の命が尽きた瞬間に、すべて朽ちてなくなってしまいます。
これこそまさに「宝の持ち腐れ」です。
さすがにこれではいけないと、自分でもどうにかしたいと思うようになりました。
表現という名の闘い
このブログの強みである長い観戦記も、私が試みているアウトプットの一つです。
ただ、観戦記の内容はあくまで特定の大会に限られます。
私が蓄積してきた体験や知識、見聞は、別の形で残す必要がありました。
それがこうしたコラム記事なのです。
多様なプロレス道
プロレスは観戦以外でも、さまざまな形で触れることができます。
例えば、引退した選手の飲食店へ行けば、そこでしか得られない体験ができますが、それは「観戦記」という枠組みでは表現しにくいものです。
記憶を記録に刻む
ブログでジャンル分けをしているのは、さまざまな要素を紐付けて、自分の記憶を呼び覚まし記録しておきたいからです。
観戦記にとどまらず、多様な形で残すことで、自分の中にある知識や体験をデトックスしたい。それが今の私の願いです。
魂のデトックス
プロレス界において、かつての武藤敬司選手が自らの膝の痛みや過去の栄光を「手放し」、代理人であるグレート・ムタを引退させたように、人間には一つの時代を終わらせる儀式が必要です。
長年抱え込んだ執着は、心の中で毒素となって停滞します。
バトンを渡す「闘い」
アントニオ猪木さんが引退試合で「道」を説いたように、抱え込んだ知識や感情を言葉として外に放流することは、ファンや後世にバトンを渡す「闘い」そのものです。
自分の中に溜まった重い記憶を言語化して解毒する。
それは、リングの上で激しい打撃を浴びて汗を流し、すべてを出し切るレスラーの姿に似ています。
心のアウトプットこそが、明日を生きるための清々しい「知識や体験のデトックス」となるのです。
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