[プロレス旅日記] 1990年代の私的東京遠征噺⑤新日対Uインターの翌日

1990年代の私的東京遠征噺⑤新日対Uインターの翌日

404 File Not Found

95.10.9

1995年10月9日といえば「10.9」でお馴染みの新日対UWFインターの全面対抗戦がありました。

試合の方は今更語るまでもないのですが、観衆67,000人(超満員札止め)を集めたこの大会は、1998年4月4日”燃える闘魂” アントニオ猪木 引退試合が、七万人を記録するまでは、東京ドームの最多動員になっていました。

うねりに似た

そのうねりに似た盛り上がりは、いまだに忘れられないものがありますね。

さて、この1995年は私にとって大きな変化のあった年でした。

実質的肩たたき

夏に開催されたG1クライマックス両国五連戦から帰ったのち、私は当時8年9ヶ月勤めていた会社を解雇されました。

表向きは自己都合になっていますが、実質的な肩たたきにあったのです。

退職金をつぎ込んで

おそらくプロレス観戦のために、休みをとっていること、1995年当時私の成績が振るわなかったということ、当時の所長と折り合いが悪かった事など、色々な事情が重なったわけです。

しかし、懲りない私は、退職後身体を壊したものの、退職金をつぎ込んで10.9と、12月のSUPER J-CUP2を観に東京へ行きました。

翌日は体育の日

1995年時点では、10月10日は体育の日(現・スポーツの日)で祝日でした。

体育の日は制定当初から1999年(平成11年)までは10月10日が休みで、10月の第2月曜日に変わったのは 、2000年(平成12年)以降になります。

河原でバーベキュー

私は、観戦後関東の友人たちのお誘いで、奥東京の河原でバーベキューを楽しむことになりました。

バーベキュー自体はとても楽しかったのですが、あろうことか私のメガネが壊れてしまい、近くのメガネ屋さんで修理する羽目になりました。

些末な出来事だけど

ただ、この時のメガネ屋さんが大変親切にしていただいたおかげで、片方のレンズを安価で交換するだけで済みました。

不思議と試合自体はあまり覚えていなくても、こういう些末な出来事は記憶に残っているんですね。

404 File Not Found






follow us in feedly

タイトルとURLをコピーしました