プロレス的発想の転換のすすめ(62)見えない敵に挑む勇気
がんと鬱の共通項
今回は、がんとプロレスのお話の続きです。
以前「がんと精神疾患(私の場合は鬱)、どちらが辛いか」というお話をしましたが、今回は両者の「共通項」について触れたいと思います。
それは、どちらも「成果が見えないこと」です。
成果の見えぬもどかしさ
私の場合、血液のがんであることも影響していますが、患部を切除して終わりではない点が非常に分かりにくいのです。
例えば以前、顔面を24針縫った時は、抜糸して傷口が塞がれば回復が目で確認できました。
しかし、今行っている抗がん剤治療は、悪性リンパ腫の箇所を小さくすることが目的であり、即座に変化を実感できるものではありません。
副作用という先制攻撃
レントゲンやMRIで経過観察はできますが、直接患部を見られるわけではなく、はっきりとした成果がすぐに現れるわけでもありません。
同様に鬱も、まずは副作用が先に現れ、それから少しずつ薬の効き目が出てくるものです。
根気が試される治療
治療や服薬の効果が実感しにくいという点では、がんと鬱は似ています。
その割に副作用が厳しいため、治療に向き合うには相当な根気が試されます。
とはいえ、精神が弱っている状態で「頑張る」のは、非常に難易度が高いのも事実です。
鬱に関しては、そもそも「頑張りすぎた結果」の不調なのですから。
回復を促す「ご褒美」
最近では「鬱の患者に『頑張れ』は禁句」という言葉をよく耳にするかと思います。
「頑張れ」が励ましではなく、自分を鞭打つ言葉になってしまえば逆効果です。
だからこそ、完治した後の「にんじん(ご褒美)」をぶら下げておかなければ、走り続けることすらままなりません。
プロレスという光
私にとっての「にんじん」は、プロレスでした。会場へ足を運び、選手の試合を観て心から満足する。あの至福の時間に再び身を委ねたいからこそ、辛い治療も頑張れます。しかし、鬱が酷い時期は動くことすらできず、その「にんじん」すら欲しいと思えませんでした。
心が動かぬ時の厳しさ
心が死んだ状態というのは、いかに美味しい「にんじん」が目の前にあっても、それを取りに行く気力が全く起きないのです。
だからこそ余計に厄介です。あくまで私の体験の範囲内ですが、こうした背景から「支援のない精神疾患は、がんよりきつい」という結論に至りました。
人生という名の闘い
病との闘いは、まさに終わりの見えない過酷な「闘い」です。
アントニオ猪木さんが仰った「元気があれば何でもできる」という言葉は真実ですが、その元気を取り戻すための道のりこそが、レスラーが場外乱闘からリングへ這い上がるような、泥臭くも必死なプロセスなのです。
がんと鬱の共通項、それはリングに返り咲く日を信じて、目に見えぬ敵と対峙し続ける孤独な「闘い」そのものだと言えるでしょう。
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