プロレス的発想の転換のすすめ(84)プロレスのメリハリと刺激
刺激という名の依存
今回は「メリハリ」についてお話ししたいと思います。「落差」と言い換えてもいいですね。
春先のメリハリの利いた寒暖差は、心身ともに変化についていけず、不調を招いてしまうこともありますが、プロレスの試合、あるいは大会そのものはどうでしょうか。
打ち続けるカンフル剤
試合で言うなら、のべつ幕なしに飛んだり跳ねたりする展開は、メリハリがなく、いわばカンフル剤を打ち続けているような状態になっていると私は思います。
刺激を与え続けていくと、観客はいずれその刺激に慣れてしまい、より過激なパフォーマンスを要求するようになります。
観客の欲求と身体の限界
しかし、超人とはいえプロレスラーも人間です。
高まるばかりの観客の欲求に応えるばかりでは、自分の身体に負担がかかるだけでなく、結果的に良いパフォーマンスを披露できなくなる可能性が極めて高いと思われます。
加速する刺激のインフレ
また、そのような状況下ではアクシデントも起こりやすく、怪我もしやすいのではないかと私は考えています。
大会全体を通しても、第一試合から大技を連発していくと、メインの「闘い」に至る頃には、刺激に慣れた観客の欲求がとんでもないレベルに上がっていることも考えられます。
重戦車が宙を舞う時代
よく会場で耳にする「飛べ!飛べ!」という声があります。軽量級ならまだしも、重量級の選手にもそのような声が飛びます。
一例を挙げると、新日本プロレスのタッグ戦線で活躍したウォーマシン(レイモンド・ロウ選手&ハンソン選手)などは、スーパーヘビー級の身体で身軽に空中戦を仕掛けていく選手たちです。
階級を超えた技の攻防
ロウ選手はトペ、”空飛ぶ重戦車”の異名を持つハンソン選手はムーンサルトなどで観客の度肝を抜いていきます。
本来、ムーンサルトやトペはジュニアヘビー級の技であり、ヘビー級の技ではありませんでした。
飛べるヘビー級の光と影
90年代から日本では武藤敬司選手や小橋建太選手、アメリカではビッグバン・ベイダー選手などが「飛べるヘビー級」として脚光を浴びました。
彼らの「闘い」を見て育ったであろうウォーマシンの世代にとっては、「飛べるヘビー級」は当たり前なのかもしれません。
失われる本来の力強さ
しかし、人間というのは刺激に慣れてしまうと、それが当たり前になります。
娯楽で受ける刺激に慣れすぎてしまうと、さらなる快楽を求めて要望がどんどん高まっていきます。
本来、ヘビー級の選手は、恵まれた体躯を活かした迫力ある攻撃を見せられるはずなのです。
諸刃の剣となる空中戦
ジュニアの選手には体格がないからこそ、空中戦やスピードで見せ場を作る必要がありました。
今のようにヘビーもジュニアも関係なく飛んだり跳ねたりしていると、プロレスが本来持つ魅力もどんどん削ぎ落とされていく気がしてなりません。
しいては、それが大事故につながらないとも言い切れないのです。
特に場外への空中弾は、体重のあるヘビー級選手にとってはまさに「諸刃の剣」です。
各選手・各団体とも、ただ観客の声援に流されるだけの「闘い」を見せ続けたいのか、本当はどうしたいのかを、今一度胸に手を当てて考えてみてほしいと願っています。
飽くなき心理が招く代償
人間の心理には、一度得た快楽を「基準」として固定し、さらなる強さを求める性質があります。
昨日驚いたはずの空中殺法が、今日は退屈な日常の光景へと変わってしまう。
この終わりのないエスカレーションは、観客を満足させるためのサービス精神から生まれたはずが、いつしか選手を命の危険へと追い詰めていきます。
最大級の衝撃が常識となったとき、プロレスが持つ「静と動」の機微はかき消され、競技が本来持つ魅力がそがれる諸刃の剣となるのです。
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