プロレス的音楽徒然草Dreams(阿修羅・原のテーマ)
ラグビーから転向
今回は2015年に亡くなった阿修羅・原さんのテーマ曲だった、ヴァン・ヘイレンの「Dreams 」をご紹介します。
阿修羅・原さんは、高校2年に相撲からラグビーに転向し、東洋大学を経て、拠点を東京から一旦大阪に移して1969年に近畿日本鉄道(近鉄)に入社します。
近鉄では入社と同時に近鉄ラグビー部に所属し、1970年に日本代表に選出されました。近鉄退社直後の1977年11月29日、国際プロレス入団を表明し、プロレスラーに転向。グレート草津さんのスカウトで国際プロレスに参戦しました。
盟友との熱い戦い
国際プロレス解散後は全日本プロレスに所属しますが、派手好きで見栄っ張りな性格が災いし、バブル景気の上に後輩などに大盤振る舞いをしたために金銭面でルーズとなっていき、それが故に控室や事務所まで借金取りが来るほどになってしまいました。
そして全日本を解雇されますが、全日本時代からの盟友・天龍源一郎選手が所属するSWSで復帰。以降、WARではタッグを組んだり、戦ったりしながらも、1994年に引退。その後、ラグビーの指導者などを経ましたが、肺炎のため2015年4月28日に68歳の若さでお亡くなりになられました。
名曲ドリームス
阿修羅・原さんと言えば、国際プロレス、全日本プロレスの時代に使用された、ミノタウロスの「阿修羅」が有名ですが、「Dreams」は全日本プロレス末期、SWS、WARの時代に使用された楽曲です。
「Dreams」が収録されたヴァン・ヘイレンのアルバム『5150』は、通算7作目にあたります。1985年7月頃、前ヴォーカルのデイヴィッド・リー・ロスさんが脱退し、後任に迎えた元モントローズのサミー・ヘイガーさんを新ヴォーカルに迎えた最初のアルバムです。
アルバムの由来
アルバムタイトルの『5150』は”fifty-one-fifty”と発音され、自己または他者に傷害を与える恐れのある精神障害者の措置入院手続きを定めたカリフォルニア州法から来る、警察関係者による隠語が由来です。
アルバム『5150』は、バンド初となる全米1位を3週連続で獲得。ヴァン・ヘイレンは、バンド存続の危機を乗り越え、ロック史の中で特筆すべきボーカリスト交代を成し遂げたのです。
人生の夢を追う
「Dreams」は、中でもトップクラスの人気を誇る楽曲です。タイトルの通り、人生に夢を持つことの意味を表現した作品です。
「流した涙を集めて取っておくんだ」「あぁ、そいつらが夢を作るんだよ」。
目標を追っている内に感じた悔しさや挫折を「気にするな」とも「忘れろ」とも言わず、「忘れなければその悔しさは、必ず次に活かせるよ」と、失敗も含めて自分の力にできるというメッセージが綴られています。
重なる生き様
まさに阿修羅・原さんの生き様とも重なりますよね。ヴァン・ヘイレンもまた世界的ロックバンドとして名を馳せてきました。その彼らがこの言葉を語ることには、一定の重みがあるのではないかと感じます。
こういう頑張る人の背中を押すようなメッセージソングは、90年代以降、日本の音楽シーンでも流行ったといわれています。
感動のメロディ
印象的には重厚感がある「阿修羅」とは対照的に、「Dreams」はヴァン・ヘイレンがてらいもなくエモーショナルな楽曲を出すようになった時代の代表曲で、非常に面白い構成になっており、アメリカン・ドリームを象徴するかのような高揚感のあるメロディ・ラインは感動的ですらあります。
原さんご本人は「阿修羅」より「Dreams」の方が気に入っていたと言われ、2015年5月3日に新日本プロレス「レスリングどんたく」で開催された原さんの追悼セレモニーでは「阿修羅」ではなく「Dreams」が流されました。
セレモニーで、全日本プロレス時代から龍原砲と行動を共にしてきたレッドシューズ海野レフェリーが原さんの遺影を持っていたあたりで既にぐっとくるものがありました。
選手、観客、関係者が黙とうを捧げる中、追悼の10カウントゴングが打ち鳴らされたあと、「Dreams」が聞こえてきました。
福岡の空に響く
会場でこの曲を聴いたとき、私は胸が締め付けられるような思いを感じました。それまで何度となく観てきた龍原砲や、原さんの戦いが頭の中を駆け巡り、とても切ない気持ちになりました。
あれから10年以上の年月が流れましたが、「Dreams」を聴き直すたびに、あの日の福岡国際センターで聞いたテンカウントゴングの音色を思い出すのです。
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