[不穏試合] プロレス謎試合~自分はこうみた!~長州力&マサ斎藤&ヒロ斎藤vs.前田日明&木戸修&高田延彦(長州力顔面襲撃事件)後編

[不穏試合] プロレス謎試合~自分はこうみた!~

プロレス謎試合~自分はこうみた!~長州力&マサ斎藤&ヒロ斎藤vs.前田日明&木戸修&高田延彦(長州力顔面襲撃事件)後編

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新旧世代闘争

前回はYouTubeに上がっている動画をみながら、展開を追っていきましたが、今回はそれを元に考察を加えていきます。

1987年6月12日、「世代交代だ! いましかないぞ、俺たちがやるのは!」と長州さんは、一丸となっての打倒猪木を宣言し、「新旧世代闘争」が勃発しました。

この時、長州さんと前田さんは一応共闘するようになります。

抗争は尻つぼみに

世代闘争は最初こそファンの関心を呼びますが、抗争は尻つぼみになり、世代闘争はわずか3カ月でうやむやのうちに終息してしまいます。

このタイミングでタイミングでふたりのタッグ対決が組まれてしまいます。

それが、1987年11月19日後楽園ホールでの長州力&マサ斎藤&ヒロ斎藤vs.前田日明&木戸修&高田延彦戦です。

顔面を蹴り上げる

試合中盤、長州さんが木戸さんにサソリ固めを仕掛けようとすると、試合の権利がない前田さんが背後から回り込み長州の顔面を蹴り上げます。

この強烈な一撃で長州さんは右目を大きく腫れ上がらせ、右前頭洞底骨折、全治1カ月の重傷を負ってしまいます。

試合が終わってなおも長州さんは、前田日明さんに突っかかっていきます。

異様な空気

画質が悪いのですが、長州さんの目はお岩さんのように腫れているのがわかります。

セコンドが総がかりで2人の中を割って入り、かなり異様な空気になっているのは間違いないところです。

大・前田コール

会場も騒然とする中、「大・前田コール」で後押ししますが、長州さんは納得していない様子です。

何度も顔を拭きながら、前田さんの方に詰め寄ろうとします。

去りがたい感じ

やがて これ以上いても仕方ないと思ったのか、先にリングを降りる長州選手。

前田日明さんも去りがたい感じでエプロンにいましたが、続いてリングを降りたところで動画は終わっています。

注目させないと

当時はUWFの影が薄くなると新日本に吸収されてしまうから、前田さんはまずいなと思っていたそうです。

加えて同時期、天龍さんが輪島さんに対してリングシューズのヒモの痕がつくくらい激しくやっていたのを見て、前田さんは「UWFに注目させないと、どうしようもないな」という危機感を抱いていたようです。

個別契約を拒否

さらに、団体ではなく個別契約の話を持ちかけられて、藤原組長と木戸さんはそれに応じてしまいます。

しかし前田さんは「UWFのフロントや新弟子は、どう食っていくんだ」と考え、個別契約を拒否します。

そんな状況下で起きたのが「長州力顔面蹴撃事件」だったわけです。

合図しているようには

前田さんはちゃんと肩を叩いて「蹴りますよ」って前蹴りしただけの話だといっていますが、画像を見る限りはっきり合図しているようには見えません。

しかし、長州さんは下を向いていたせいで目に入ってしまって眼窩底を骨折してしまいます。

猪木さんは

この一件で前田さんは謹慎処分となりますが、謹慎中に猪木さんから代官山に呼び出されて飲みに行ったりもしていたそうです。

あのころの猪木さんは自由に発言できる立場でなかったらしく、結構前田さんをクビにするのには苦悩があったようです。

カットプレイは

結果的に、新日本をクビになったらマスコミも大騒ぎになり、後の新生UWFが注目を集める導火線になってきました。

ちなみにこのカットプレイに関しては、「自分で考え、自分で仕掛け、緊張感を作ってきた。そのひとつが、長州さんだった」と前田さんは語っています。

最高のアングル

「現場の人間をも騙すのが、最高のアングルなんだよ。本当に揉めてる、ヤバいっていう緊張感が周囲に伝わって、さらにファンにも伝わっていく」という前田さんの言葉通り、確かに前田シンパがこの事件後急増し、第二次UWFブームへと繋がっていきます。

一方、もう一人の当事者である長州さんは、この時沈黙を貫きます。

猪木の内面

長州さんは猪木さんから「悔しい気持ちはよくわかる。だが、何も言うな。しゃべるんじゃないぞ。沈黙してじっとしていろ」と言われたそうです。

その時に長州さんは、初めてアントニオ猪木という人の内面が見えてきたといいます。

説明や弁解は無駄

「これが、猪木さんなんだ」というのは長州さんにとって、一つの発見でもあったようです。

一旦おきたことに対して、説明したり弁解しても、物事が動き出すと、何を言っても無駄になることはよくあります。

物事の見極め

特にプロレスにはそうした恐ろしさがあります。

猪木さんはやっぱり多くの修羅場をくぐってきているので、物事の見極めがよかったのでしょう。

反論していたら

長州さんは「反論していたら、今頃、オレは後悔していたかもしれない」とも語っています。

前田さんは誰にも話さず、自分で アングルを作ったと発言されていますが、あの蹴りはあまりにも 唐突すぎるという感じもします。

どうせやるなら

またノーテレビであったことから、プロレス マスコミを通じてしか話題が広がらない可能性が大だったという点も見逃せないところです。

どうせやるのであれば、テレビが入っているところで事件を起こせば、注目度は違っていたと思われます。

若かったからこそ

試合を見る限り、前田さんも 長州さんも感情が先走っているように見えます。 お互い若かったからこそ、行き違いが埋められない溝になってしまった とも解釈できます。

結果として後世に語り継がれるような事件になりましたが、下手をすれば歴史の中に埋もれてなくなってしまう可能性もあったため、今にして思えば結果オーライだったかなと私は考えています。

不協和音が聞こえ始め

新生UWFはこの事件によって爆発的人気を誇りますが、ドーム大会からスポンサーについたメガネスーパー(イメージキャラクターは田代まさし)が本格的にプロレス界に参入。SWS旗揚げと並行して、UWFに不協和音が聞こえ始めます。

UWFとSWSの業務提携話が何度も浮上しては消える中、前田はフロント、神社長の横領、背任で訴えると騒ぎ始めました。

事態は収束するかと

その結果、逆に前田さんが会社への背任行為として5ヶ月間の出場停止処分を受けるという異常事態になります。

1990年12月、松本運動公園体育館で船木の呼びかけにより欠場中の前田がリングに上がり、全選手で万歳三唱、選手の一致団結をアピールし、事態は収束するかと思われました。

自滅という形で

しかし、神社長が所属選手全員を解雇して、これをもって新生UWFは「自滅」という予想外の理由により、あっけなく崩壊することになりました。

UWFは三派に分裂し、鉄の結束を誇ったUWFは二度と一枚岩になることはありませんでした。

現場監督時代

他方、長州さんは新日本の現場監督となって、マッチメーカーとして猪木さんが一線を退いた後の団体を取り仕切ります。

闘魂三銃士をプロデュースし新世代のスターへと押し上げたほか、現在まで続く1・4東京ドーム、G1クライマックス、G1タッグリーグ、ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアなど定番イベントを創設し、1990年代を通して全国でドーム興行を成功・定着させます。

資金を使い切り・・・

因縁浅からぬUWFインターナショナルとの抗争も主導し、U潰しも成功させた長州さんでしたが、2002年2月武藤敬司一派が新日を退団した責任を取らされ現場監督の任を剥奪され、5月に新日本プロレスを退社します。

2003年3月WJプロレスを旗揚げしたものの、旗揚げ戦も行っていない団体が出資金を使い切ってしまうという異常事態は、メジャー団体である新日本プロレスのトップであった長州さんと永島取締役の金銭感覚の欠如にあったと言われています。

負債総額は

最終的な負債額は3億円に上ったとされ、5億円が1年半で消えてしまった計算になり、WJ崩壊後に、長州さんと永島さんは融資した2億円の返済を求めてオーナーの福田氏から訴えられています。

これに対して、長州さんは自宅を売却して全額返済、永島さんは返済能力がないと見なされ、3年間毎月5万円を払うことで実質的に容赦されたといいます。

信じられないような

また、WJは地方大会の問い合わせ先がスナックだったという、信じられないような笑い話が常態化していました。

それでもプロレスは試合内容さえ良ければ一定数のファンはついてくるものですが、引き抜きによって得られた人材は、知名度こそあったもののほとんどが全盛期を過ぎていました。

それゆえに観客動員にも苦戦していたのです。

片方だけが

このように事件を境に片方だけが栄華を誇ったわけではないところが、プロレスの大河ドラマっぷりを如実に表していると思います。

ちなみに現在は対談などを経て、長州さんと前田さんは良好な関係にありますが、顔面襲撃事件時はこんな未来が訪れようとは夢にも思いませんでした。

プロレスはやはり長く見続けるものですね。

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プロレスオタクで心理カウンセラーの資格を持ち、両親の介護をしながらガンサバイバーとして生きる著者が、自分の人生や仕事について赤裸々に語ります。プロレスやオタク文化に関する豊富な知識や経験、心理カウンセラーとしてのスキルや活動、介護やガンサバイバーシップに関する悩みや工夫など、興味深く感動的な内容が満載です。あなたも著者のストーリーに共感しませんか?







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