プロレス的音楽徒然草 勇士の叫び(I Love It Loud)
90年代の最強コンビ
今回は90年代初頭に全日本プロレスを席巻した、最強外国人タッグチーム「殺人魚雷コンビ」のテーマ曲、KISSの「勇士の叫び(I Love It Loud)」をご紹介します。殺人魚雷コンビというのは、ドクターデス・スティーブ・ウィリアムスと、人間魚雷・テリー・ゴディの二つ名を合体させた呼び名です。
80年代の最強外国人タッグといえば、真っ先にでてくるのが、スタン・ハンセンとブルーザー・ブロディの「超獣コンビ」でした。残念ながらブロディは1988年に他界したため、残されたスタン・ハンセンは様々な選手とタッグを組んでいきます。その中に若き日のテリー・ゴディもおりました。
ゴディ自体は、元々少年時代からの悪友だったマイケル・ヘイズやバディ・ロジャースと共にファビラス・フリーバーズとして活動してきました。
殺人魚雷コンビ誕生へ
しかし、オリジナルフリーバーズが解散したのち、全日本プロレスを主戦場に選んだゴディは、同時期に新日本プロレスから移籍してきたスティーブ・ウィリアムスとタッグを組むことになりました。これが殺人魚雷コンビ誕生までの流れです。
スティーブ・ウィリアムスは、ハンセンやタイガー・ジェット・シンら、全日本と新日本との引き抜き合戦の果てに移籍したケースとは異なり、初めて両団体の合意の上で移籍した外国人選手になります。
この時期は新日本プロレスの創設者であるアントニオ猪木さんが、議員出馬のため社長業を離れ、副社長だった坂口征二さんが新たに社長に就任しました。
ベルリンの壁崩壊
坂口さんと、全日本のジャイアント馬場さんとは、日本プロレス時代から懇意にしていた関係で、1990年2月10日に行われた「スーパーファイトIN東京ドーム」において、来日キャンセルになったリック・フレアーの代役として、馬場さんが「坂口社長の就任祝い」として、ジャンボ鶴田、谷津嘉章、天龍源一郎、2代目タイガーマスク(三沢光晴)、スタン・ハンセンの5選手をレンタルします。
これは「プロレス界のベルリンの壁崩壊」と呼ばれ、大きな話題になりました。その流れの一つとして、当時新日本プロレスの常連外国人選手だった、クラッシャー・バンバン・ビガロや、スティーブ・ウィリアムスらが全日本に、元・全日本の常連だったロード・ウォリアーズらが新日本に上がったわけです。
もともとはウィリアムスの曲
さて、殺人魚雷コンビのテーマ曲に選ばれたのは、1977年にKISSが発表した「勇士の叫び(I Love It Loud)」でした。
元々はウィリアムスの全日本バージョンのテーマ曲として用意されたものですが、殺人魚雷がファンに認知されるようになると、ゴディも入場テーマ曲として使い始めたため、一般的には「ゴディとウィリアムスの入場テーマ曲」という認識をされていました。
1977年に、「勇士の叫び(I Love It Loud)」を発表したKISSは、1973年1月にアメリカで結成されたロックバンドで、白塗りの化粧(コープス・ペイント)と奇抜な衣装でストレートなロックンロール、ハードロックを演奏し、日本でもブームになりました。
小学生もマネした
当時、私は小学生でしたが、あの時分は英語詞の歌が流行歌のように流行っていました。中でもKISSの人気は見た目のインパクトとも相まって、かなりの人気を博していました。
クラスメイトが、ジーン・シモンズをはじめとするメンバーのマネをしていたことを、今でも覚えています。そんなブームを体験してきていたので、KISSに関しては非常に親しみやすかったですね。
殺人魚雷コンビのテーマは厳密に言うと、冒頭に同じKISSの「LOVE’S A DEADLY WEAPON」が「イントロ」として加えられており、そこから本来の「勇士の叫び(I Love It Loud)」のイントロにあるシャウトに合わせて、会場中が叫んでいる中で、2人が駆け足で入場し、リングインの後もロープワークで十字交差する光景はおなじみでした。
強すぎるが故に・・・
殺人魚雷コンビの実力を強く印象づけたのは、1990年2月に、世界タッグチャンピオンだった龍艦砲(天龍源一郎&スタン・ハンセン)から、一発でタイトルを奪取したことにつきます。
以降、鶴田組や超世代軍ら、日本人選手との抗争において、圧倒的な強さを誇るわけですが、あまりに強すぎて会場からブーイングが飛ぶこともしょっちゅうでした。強すぎるが故に、ブーイングが飛ぶというのは当時でもかなりのレアケースでした。
しかし、1993年にはテリー・ゴディが持病の疾患により欠場し、ウィリアムスがシングルプレイヤーとして活動するようになると、殺人魚雷コンビは事実上自然消滅し、94年の来日を最後にゴディが全日本マットから姿を消すと、殺人魚雷は実質的に解散となりました。
殺人魚雷を語り継ぐ時代へ
2001年に心臓病の悪化でテリー・ゴディが、2009年に咽頭癌によってスティーブ・ウィリアムスが相次いで他界したため、ついにゴディ&ウィリアムスは再結成することなく、殺人魚雷は伝説と化したわけです。
平成初頭に無敵の強さを誇り、四天王やジャンボ鶴田らの強敵として、SWSによる選手大量離脱後の全日本プロレスを支え続けた殺人魚雷コンビをリアルタイムで知るファンも今では少なくなりました。
我々にとっては当たり前のように存在していた殺人魚雷の強さをこうして語り継ぐ必要に迫られてきた事を思うと、新時代と呼ばれた平成の終わりを嫌でも肌身で感じざるを得ないわけですね。