老害プヲタ・プロレス“ザ・モンスター”ハラダの発想の転換のすすめ#63 ファンの気質とクレーム
今の方が過ごしやすい!
今回はファンの気質とクレームのお話です。
昭和から令和まで、会場やファンの移り変わりを体験してきた私としては、断然今の方が過ごしやすく、またプロレスそのものを楽しめている感じはします。
新日本原理主義
昭和というのは、特に1980年代は、新日本原理主義が跋扈しており、気に入らなければ他団体に乗り込んで、そこのファンに嫌がらせをする、あるいは会場で暴動を起こすなんてことは、ざらにありました。
実際に私も新日原理主義者にはひどい目にあっていますから、これは間違いないと思います。
あまりに殺伐としていた
また、船木誠勝選手とお話ししたときも「自分たちは(当時)暴動が起きるのが当たり前だと思っていた」という証言を聞いています。
それくらい昭和の会場と言うにはプロレスを楽しむにはあまりに殺伐としていたのです。
UWFを経て、総合へ
現代の国際問題をみていても、だいたい最強や原理主義をこじらせるとろくなことにはならないのは、昭和も令和も変わりありません。
しかし、そうした新日原理主義派の多くは、UWFを経て、総合格闘技へ流れていきました。おかげでプロレス会場は大変居心地の良い場所に変わりました。
SNSは諸刃の剣
昭和時代と令和で決定的にちがうのは、SNSでしょう。ファンの一人一人が声をあげることで、変わっていったものもたくさんあります。
しかし、SNSは諸刃の剣で、時に善意だと思い込んだ言葉が人を追い込む事件が後を絶ちません。
ですから、SNS側も対策を講じて、ブロック機能やミュートなどの機能で、ユーザーがより楽しいSNSライフが送れるよう工夫してきました。
もの申す事が憚られる
とはいいながらも、昨今では、一部のモンスター化したクレーマーや親などが突出してきたため、昔ほど「もの申す」ことが憚られるようにもなってきたように思います。
昭和のように「もの申す」=「暴動」では犯罪ですから、それは論外としても、本来間違っていることや、第三者的にみて明らかにおかしいことに対しては、意見することがあっていいのです。
ファンが問題を放置していると
ですが、人間の心理として「自分はモンスタークレーマーと思われるのがイヤだ」という感情も理解できます。
かといってファンが問題を放置しておくとつけあがるのも、プロレス界のサガみたいなものです。
プロレス界でなくても「イヤなら観るな」といった(とされる)某テレビ局が視聴者からそっぽを向かれて凋落した・・・なんていう事例って結構ありますよね。
現状にあぐらをかく傾向
特に競争相手のいなくなった大手というのは、本人たちにそのつもりがなくても、洋の東西問わず現状にあぐらをかく傾向が見受けられます。
何が言いたいかって言うと、昭和だろうが令和だろうがおかしなものにはおかしいといっていいということなんです。
あくまで理知的に、冷静に
ただし、その伝え方は直接的な暴力や、過剰なクレームではなく、あくまで理知的に、冷静に問題点を指摘していくことが肝心なんですね。
そうしないと、楽しめるはずのプロレスライフがいつの間にか楽しくないものになってしまうかもしれませんから・・・