自分なりの勝負論で闘う
基本私はプロレスラーを尊敬していますが、同時にライバル視もしています。でも同じ土俵で闘っても負けるのは明白なんで、自分なりの勝負論で、ライバルとは闘おうと思って生きてきました。
かつて有名レスラーの一部にはこぞって「俺はサラリーマンではない」という意味のコメントをたくさん残してきた時代がありました。でもサラリーマンだった時代の私には「サラリーマンだって闘っているんだ」という自負がありました。確かに一時期は身分の保証もされた雇われは、生き方で言えば「正規軍」であり、同時に「会社に飼いならされた家畜」という印象もあったことでしょう。
でも今はその会社員ですら「明日をも知れぬ身」です。会社にいるからといって安寧とした人生を過ごせる保証はありません。これを読んでいるあなたの身分も明日にはどうなっているかはわからないのです。サラリーマンであっても今の時代、闘わない人間は生き残っていけないのです。
そうなると、フリーランス(プロレスラー)はサラリーマンに対して噛みつけなくなってきています。今ではサラリーマンを貶めて、プロレスラーを上に見せるかのような発言をする選手はほとんどいなくなりました。
他人を変える暇があったら…
今の時代、どんな有名団体であっても、そのネームバリューだけで集客できる時代は終わっています。団体の代表や選手がこまめに営業にまわり、ポスターを貼らせてもらってようやく地方の一興業が完成するのです。
もちろん営業だけでなく、トレーニングや体つくりも大切になってきます。そうなると、本当にタイトな毎日が過ぎていくことになりますね。
これはでもプロレスラーだけがそうなっているわけではありません。リングをもたない我々は、人生というリングの上で、下手すると誰も見ていないかもしれない状況の中で、毎日生き残るための闘いをしていかなければなりません。
正直、私もフリーランスになってみてプロレスラーがサラリーマンに噛みつきたくなった気持ちもなんとなくわかるようになってきました。でも誰かに噛みつく前に自分という刀を研ぎすまし、常に自分と向き合う闘いを続けていくことの方が、誰かのせいにするよりよほど建設的だと私は思うのです。
他人を変える努力をする暇があったら、まず自分が変わらないと、本当に闘っているとはいえないと思います。そういう意味で「闘っていない」プロレスラーに対しては、私は容赦なく厳しく接していくのです。
少なくとも今の私にはプロレスラー以上に身も心も削って人生を闘ってきた自負があります。リングで闘っているプロレスラーは、憧れでもありますが、私にとってはライバルでもあります。そのライバルに対していつか胸を張って「勝ったぞ」といえる人生を、これからも送っていきたいのです。