プロレススーパースター本烈伝・プロレス学宣言
解説
結局プロレスを見ることを辞めてしまったあなたの心の片隅には、プロレスという確固たる一社会現象でありながら、何となく収まりのつかない治りの悪い澱(おり)のようなものが残ってるような気がしてならない。
その心の澱を生んだら掬い上げてしまう掬い上げましょうか?というお節介がこの本であり、そういう意味での啓蒙書だと言いたいのである。
啓蒙というのは得てしていらぬお節介だから・・・(本文より抜粋)
学問的見地から
「プロレス学宣言」は、歴史検証含めて、プロレスを学問的見地から整理し直すことをライフワークにされている、岡村正史氏の活動に賛同されているプロレスファンたちのプロレス論文を集めた本である。
この本に「日本プロレス学宣言」という大げさなタイトルをつけたのは、この世の中にはすでにプロレスに関する学術論文が存在するからである。
でっちあげの域
もちろんだからといって「プロレス学」がまだ確立されているわけではない。はっきり言って「プロレス学」は岡村正史のでっち上げの域を出ていない。(前書きより)
岡村氏は高校教諭を続けながら、2010年3月大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了。
八百長論について
博士論文は「力道山のライフ・ヒストリーにおけるプロレス受容に関する考察」で、「力道山」およびそれに関する文章が2009年の帝京大学、多摩大学の入試問題に採用されている。
この「プロレス学宣言」で興味深いのは、プロレス八百長論について、結構切り込んでいる点である。本文より一部抜粋する。
きちんとした世界では
プロレスの勝敗が事前に全部決まっているとしても、その勝敗決定のメカニズムには、まだまだ未知の部分が多い。(中略)
私の感想を一言付け加えるならば、プロレスはそんなにきちんとした世界ではないような気がする。
おそらく全部勝敗は決まっているでいるのであろうが、試合によってその決まり方の強弱の違いがあるのではないか?(本文より)
タブーにすべきではない
そして岡村氏は自身を八百長論者ではないとした上で、
プロレスにおける八百長問題が完全に解明されたとしても、プロレスの魅力は一向に減じないのではないか?
私はそう確信しているからこそ、このような文章を書いているのであり、しかもプロレスを表現するのに「八百長」という言葉は不適切であるという結論は当分変える気がない。
「八百長問題」はタブーにすべきではなくどんどん論じられるべきだ。改めてそう思う。
「八百長問題」を論ずることと、プロレスに愛情を持つことは両立するはずである 。(本文より)
WWFの「事件」
とはっきり断言されている。
その具体例のひとつとして、WWFのトップヒールのアイアン・シーク選手とトップベビーフェイスだったハクソー・ジム・ドゥーガン選手が、同じ車で移動していたことが飲酒運転で逮捕された事例が紹介されている。
ビンスのカミングアウト
当時でもショーアップされていたWWFですら、全米のプロレスファンにとって「プロレスは勝敗が決まっていない」と捉えられていたため、この事件の衝撃は驚きをもって伝えられた。
さらに、この事件の証人の一人として出廷したビンス・マクマホン(ジュニア)が、「プロレスは台本が存在するエンターテインメント」とカミングアウトし、マスメディアでも大きく報道され、その後、WWFがWWEに名称変更へとつながる大事件となった。
そういうことも
私個人はこのニュースをリアルタイムで体験しているが、風の噂で「地方大会では馬場さんとブッチャー選手がキャッチボールをしていた」とかいった話は普通に聴いていたので、「そういうこともあるだろうな」という程度にしか受け止めていなかった。
むしろ、維新軍や後の天龍同盟が、本隊と移動を別にしたという報道の方に、私は強く興味を抱いたのである。
心の澱が残って
ましてやアメリカでは、団体が移動手段を用意する慣例がないため、選手同士がまとまって移動することも、マニアには知られていた事実でもあった。
このシーク選手とドゥガン選手の件をもって、「プロレスが八百長である」と断言して終わりにしたら、それこそ心の澱が残って、収まりがつかなかったのではないだろうか?
いかがわしさの体現者
「プロレス学宣言」が発売されたのは1991年。湾岸戦争がはじまり、終結を迎えた時代でもある。
あとがきに、当時政治家として活躍していたアントニオ猪木さんをして「政治とプロレスに共通するいかがわしさの体現者」とし、そのいかがわしさのカギを握るのが「八百長」である、との考察がなされている。
若き日の私に
非常にレベルの高いプロレスの見方、歴史に埋もれた事実の発掘 等々、読み応えのある一冊だと思う。
私が所蔵している一冊は既にボロボロなのだが、「プロレス学宣言」は若き日の私が影響を受けた一冊であることは間違いない。