プロレス的発想の転換のすすめ(116) 思い出とプロレス
思い出を語る
今回は思い出とプロレスのお話をしてみたいと思います。
ブログにしろ YouTube にしろ、私は思い出を語る形でプロレスを表現しています。
あえて過去語り
それは「昔はよかった」という言い方ではなく、ここまで生きてきた時間が積み重なったからこそ、今があるのだと言いたいために、あえて過去語りをしているつもりです。
そもそも「今を生きる」とはどういうことでしょうか?
感情と感覚
自分に備わっているさまざまな感覚をていねいに受け取ると、五感を使って新鮮な空気、爽やかな風、温かい日差しなどを受け取ることができます。
また、私たちには「感情」もあります。
心に寄り添った
感情は、「愛」のほかにも、体を動かす気持ちよさ、声を出す心地よさなど、言葉では言い表せない気持ちもあります。
その上で自分の心に寄り添った決断や行動をすれば、自分の意志を尊重できたことに喜びを覚えることができるはずです。
「今に生きる」
こうして、自分に備わっている感覚や感情に焦点を当てれば、たくさんの満足感、充実感、幸福感を発見するでしょう。
これこそ、「今に生きる」ということではないでしょうか。
今まで生きてきた時間
過去や未来にとらわれず、今を生きている人はすてきです。
しかし、積み重ねてきた歴史の上に今があるとしたら、今まで生きてきた時間もまたかけがえのないものになっていると私は思います。
ポジティブな思い出なら
もちろん、ネガティブな過去に振り回される必要はありません。
しかし、ポジティブな思い出なら何度でも反芻して「今を気持ちよくできる」はずです。
概ねポジティブ
そもそもプロレスにおける「過去」とは概ねポジティブであると私は考えています。
仮にネガティブな事件があったとしても、それすらポジティブにとらえなおすことさえ可能なのです。
過去と闘っているか
ですから、プロレスにおいては、必要以上に過去を否定する必要もないわけです。
では今のプロレスは果たして過去と闘っているでしょうか?昔を超えようとしているでしょうか?
過去から逃げる
ベテランが若手に席を譲る、あるいはベテランにはチャンスを与えないことで、想い出を封印し、今を見せようというやり方は決してポジティブなやり方だとは思いません。
それは過去と闘うことから逃げているからです。
闘ってこそ
プロレスラーならば闘って現在の地位を確立すべきですし、今に抗うことでベテランもまた輝くはずです。
そうして世代交代してきたから「今のプロレス」があるわけです。
都合のいい時だけ
過去に禅譲された椅子の上に座っているだけのスター選手は、本当に魅力的に見えるでしょうか?
そのくせ都合のいい時だけ過去を引っ張り出しても、見ている側には刺さらないでしょう。
過去とは闘うべき
プロレスラーであるならば、過去とは闘うべきだと私は思います。
それはいかに選手のサイズが小さくなろうと、プロレスのスタイルが変わろうと関係ないはずです。
想い出の先に
思い出に抗って、想い出の先に未来をつくるものこそプロレスラーでしょう。
もちろん過去は決してやり直すことはできません。
どれだけベストに
過ぎ去った時間は元に戻すことはできないのです。
今という時間を、どれだけベストにしていくかはそれぞれの自由意思であり、それぞれの選択の結果です。
都合よく
しかし、今というこの時間は過去の上に成り立っているもので、その過去は都合よく消し去ることはできないのです。
もちろんネガティブな過去はリセットしても構いません。
線で観るプロレス
ですが「プロレスは点ではなく線で観る」と更に深みが増して面白くなる、という特性を忘れてはなりません。
1試合をただ観るだけでは、単なるひとつの点にしかなりません。
感情移入が
そのひとつの試合を重ねて観る事で、選手同士で生まれる因縁やライバル関係を感じることが出来ます。
やがて、点が線となり感情移入がより深くなっていきます。
勝敗より生き様
そしてその因縁やライバル関係が時を超えた物語を紡いでいくのです。
プロレスファンが見ているのは勝敗より、「生き様」です。
一喜一憂する以上の
目の前の試合に一喜一憂する以上の満足感がそこにはあります。
これこそ過去を否定しては、決して得られない感動なのです。