【プロレスコラム】 プロレス想い出回想録 ・プロレスと街の記憶をたどる③下関の旧体育館、あの頃のプロレス

[プロレスコラム]プロレス想い出回想録

プロレス想い出回想録 ・プロレスと街の記憶をたどる③ 下関の旧体育館、あの頃のプロレス

● まずはちょっと昔話から ― 旧・下関市体育館との出会い

今回は私と旧・下関市体育館との想い出を語っていこうと思います。


私がプロレスを生観戦したのは18歳の時。場所は今はなき広島県立体育館でした。
学生時代は4年間広島にいたため、この間に行われた大会には行けておりません。


したがって、第一UWFが1984年4月14日に「オープニングシリーズ」第三戦、及び1985年5月18日に「格闘技オリンピア」開幕戦・下関大会を開催した時も生観戦はしていません。


ところが、この時期第一次UWFはテレビ東京系列の「世界のプロレス」内で録画中継されていました。


それをたまたま広島の下宿で私はみており、録画したビデオもいまだに所持しています。
ちなみに、この当時第一次UWFには豊田商事という会社がスポンサーでついていましたが、社会的事件を起こしてしまい、第一次UWFの中継はわずか2回で終了してしまいました。


その中の一回が下関市体育館のものだったというのは今考えると貴重ですよね。

● 下関に帰ってから始まった“生観戦”ライフ

さて、私は広島の大学を卒業後、故郷山口の会社に就職し、下関に戻っていました。


配属先の営業所でも4月の時点で認知されているくらいのプロレスファンだった私に、先輩営業マンが「今度、下関でプロレスやるから」と私にチケットを譲ってくれました。


それが昭和62年4月30日に行われた新日本プロレスの大会でした。


これが私の旧・下関市体育館プロレス観戦デビューとなりました。


しかも、この日は「ギブUPまでまてない」に衣替えしたワールドプロレスリングの中継が入っていました。


確かギブUPになってから2回目の放送だったと記憶しています。

● あの日の前田さんとビガロ…心がざわついた瞬間

メインはアントニオ猪木対バッドニュース・アレンでしたが、セミファイナルには実に興味深いカードが組まれていました。


この時期に、第一次UWFは経営不振から、新日本プロレスと業務提携をしており、前田日明、藤原喜明、木戸修、高田伸彦、山崎一夫と言ったUWF主力陣と、新日正規軍がバチバチの闘いをみせていました。


私はもともと格闘技や強さには興味のない人間でしたが、UWF対新日本はそんな私でも夢中になるくらい面白かったのです。


そんなUWFのリーダー的存在だった前田日明選手は、この日クラッシャー・バンバン・ビガロ選手とのシングルマッチに挑みました。


それがセミファイナルとして全国中継されたわけです。


しかし、試合はあっさりと首固めでビガロ選手の勝利に終わり、前田選手は新日本復帰後初黒星を喫してしまいます。


ちなみに、私にとって現役時代の前田日明選手を見た最初で最後の試合になってしまいました。
先ほどもいいましたが、私は「世界のプロレス」をみているくらいには、アメリカンプロレス嗜好があり、なおかつ格闘技には興味がありませんでした。


これを機に私は嗜好のシフトを完全にプロレス、それもアメリカンプロレス寄りに切り替えていき、後々大ブームを巻き起こした第二次UWFにも殆ど興味を示しませんでした。


この試合の次に前田さんを生で見たのは、32年後の熊本プロレス祭りまで待たねばなりませんでしたが、2019年6月24日にツーショットまで撮らせていただく機会に恵まれるとは、この時想像もしていませんでした。

● 若手たちの熱いぶつかり合い ― いま思い出しても胸が熱くなる

さて、この下関市体育館での初観戦では前田対ビガロ以外にも忘れられない試合や風景がいくつかあります。


その一つに当時ヤングライオンだった橋本真也選手が、UWFの若手だった中野龍雄選手と戦ったシングルマッチがあります。


この時点では、両団体のイキのいい同士のぶつかり合いという感じでした。


この時期の若手陣は、小杉俊二、山田恵一、後藤達俊、佐野直喜、武藤敬司、畑浩和、橋本真也、蝶野正洋、船木優治… と言ったメンバーがいました。

私が印象深いのはまだ珍しかった青い眼のヤングライオンだったクリス・ベノワ選手とダリル・ピーターソン選手が、甲斐甲斐しくセコンド業務をする姿でした。

ちなみに1987年当時はまだ2人とも練習生という扱いでしたので、ヤングライオン杯には参加できなかったようです。

後にクリス選手がWWEの中心人物にまで出世さた事を考えると、この時にヤングライオン杯で先輩たちとぶつかっていたら、どうなっていたか、みて見たかったですね。

そして時が流れて…橋本×中野、まさかの大舞台で再び

さて、時を経て橋本選手と中野選手は。思いもよらぬ大舞台で再戦を果たします。


それが1995年10月9日東京ドーム大会、新日本プロレス対UWFインターナショナル全面対抗戦でした。


この大会でも前回同様橋本選手が中野選手から勝利をおさめますが。私が記憶する限り、これが両者にとっての最後のシングルマッチになり、橋本選手が亡くなったため、このカードは永遠に見ることはできなくなったのでした…。

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