- ~MY STORY~とあるプロレスブロガーの壮絶な人生
- ■七歳から抱え続けた「死にたい」という感覚
- ■ 小学生時代のいじめと「見返してやる」という決断
- ■ 死にたい気持ちと矛盾した「生きる理由」
- ■ 自分と向き合えず膨らむ息苦しさ
- ■ 死にたい時代に出会ったプロレス
- ■ 「狂虎」タイガー・ジェット・シンとの衝撃の出会い
- ■ 19歳、雑誌投稿での“炎上”体験
- ■ 予期せぬ反応と恐怖の日々
- ■ 再びプロレスと出会う ― 祖母がくれた縁
- ■ 恐怖症克服を目指して選んだ営業職
- ■ 追い立てられるような退職と「続ける才能」への気づき
- ■ 嫌なことでも続けられてしまうという特性
- ■ バブルの残り香と自己肯定感の低下
- ■ 30歳での失職とコンビニバイトからの再出発
- ■ コンビニでの再出発と想定外のトラブル
- ■ 副店長同然の負担と報われない待遇
- ■ 再就職の困難と自信喪失
- ■ 2年間の寝たきり生活と他者への不信感
- ■ 新薬との出会いと一時的な回復
- ■ 長期の寝込み生活と両親からの厳しい叱責
- ■ パソコン基金訓練での新たな軋轢
- ■ 失意の中で出会った一枚のチラシ
- ■ 「続けられる」特性とその影の部分
- ■ カウンセリングとの出会いと「ハグのセラピー」
- ■ スキンシップへの嫌悪とハグがもたらした劇薬性
- ■ 薄皮をはがすように続く自己との向き合い
- ■ 忘れられない「真っ暗な階段」事件
- ■ 「SOS」を出せなかった自分との対峙
- ■ カウンセリングの限界と卒業の理由
- ■ 自分の選択を貫く生き方へ
- ヨガとの出会い ― 心だけでなく身体からの変化
- 運動禁止から一転、潮目が変わる
- かつての運動習慣とブランクの壁
- 身体に染みついていた“余計な力”との対面
- ヨガがもたらした三つの変化
- ヨガの再開と新たな生活リズム
~MY STORY~とあるプロレスブロガーの壮絶な人生
■七歳から抱え続けた「死にたい」という感覚
私、こう見えて七歳くらいからずっと死にたいと思ってきました。二歳くらいの時から「長男だから」「お兄ちゃんなんだから」と、しっかりすることばかりを求められ、自分のしたいことは制限され、新しく上がった小学校にはなじめず、ずっと図書館にこもっては即身仏になる本ばかり読んでいました。どうせ自分はいらない人間なんだ、という感覚はすでにこのころから生まれていました。
■ 小学生時代のいじめと「見返してやる」という決断
そののち、小学4年生くらいからいじめにあうようになってくると毎日が憂鬱でした。もしあなたがいじめられたとしたら、どうするでしょうか?先生に訴えるでしょうか?それとも親に訴えていくでしょうか?あるいはいじめっ子に直接向かっていくことでしょうか?
私はこのどれでもないひとつの決断をしました。それは「生きていじめていたやつらを見返してやる」というものでした。これだけですと結構前向きな動機のような感じがしますが、事実はそうではありません。私という存在が疎ましいなら、私が生きていること自体が彼らにとってのいやがらせになる・・・と当時は本気でそう思っていました。
■ 死にたい気持ちと矛盾した「生きる理由」
これがストレートに生きる動機になったのなら、まだよかったのですが、この時点では、七歳のころから持ち続けていた死にたい感覚を解決したわけでもありません。まわりに信頼できる人間は誰もいませんでしたから、死にたい感覚も生きようとする動機もひたすら自分の中で念じていたにすぎません。
それでも生き続けてしまった私の中では、死にたいという感覚と、生きて見返してやる(生きたいではない)という感覚というまったく相反する、矛盾したものを抱えたまま成長していくことになってしまいました。しかも、それが私にとっては「当たり前」の感覚になっていました。
■ 自分と向き合えず膨らむ息苦しさ
自分と向き合おうとしなかったばかりに、その矛盾にすら気づかず、息苦しさばかりを抱え込んでいくばかりでした。そして、その原因が何なのかさえ自分自身わからずにいたのです。
■ 死にたい時代に出会ったプロレス
この死にたい時代に偶然にも私はプロレスを見始めます。と言ってもそれは能動的な動機ではなく、祖母が好んで見ていたせいもあります。当時はプロレスだけでなく、ボクシング、キックボクシングなどが毎週ゴールデンタイムで放送されていた時代でした。
■ 「狂虎」タイガー・ジェット・シンとの衝撃の出会い
私は一人のレスラーにくぎ付けになります。それがインドの狂虎・タイガー・ジェット・シンでした。当時の私にとって手段を選ばず猪木さんを襲い続けるシンはヒーローでした。忘れもしない「新宿伊勢丹事件」は、いじめられっ子だった私にとっては「福音」ですらありました。そこから私はところかまわずいじめっ子を急襲していきました。もちろん噛みつき・目つぶし、なんでもありです。当然逆襲にもあるのですが、自分の中に眠っていた何かが目覚めた瞬間でした。
しかし子どもの気持ちは移り気なもので、当初夢中になってみていたものの、いつしかプロレスから離れていきます。
■ 19歳、雑誌投稿での“炎上”体験
さて、19歳の時には自分でも忘れられない出来事がありました。とあるアニメ月刊誌に私が書いたアニメの感想が載りました。それ自体はとてもいいことだと思われるかもしれません。しかし、その内容は人間否定ととられかねない内容でした。私の文章に対しては、編集部、読者、コーナー担当者も総出で「思い上がりだ」と一斉に非難を浴びせてきました。
■ 予期せぬ反応と恐怖の日々
もちろん私に今でいうところの「炎上」させる意図はなく、単に感想を述べたにすぎません。ですから、この思いもよらぬ反応に私はすっかりビビりあがり、慌てて謝罪文を書いて投稿しました。
ただ、30数年前はまだネットもなく、月刊誌なので、私の謝罪文が載るまでは数か月を要し、その間ずっと私は「人間否定論者」として活字に責め続けられたのです。この間、駅のホームに立つと本当に線路に吸い込まれそうな感覚になったことをよく思い出します。この出来事がきっかけになって20代になっても人間恐怖症で苦しめられました。
■ 再びプロレスと出会う ― 祖母がくれた縁
こんな時分にプロレスと再び再会します。きっかけをくれたのはまたしても祖母でした。ここから現在まで私はプロレスファンのままでいるのですから、今振り返るに節目節目で祖母がかかわってくれたことが、私の人生を大きく左右していたのです。これには感謝しかないですね。
■ 恐怖症克服を目指して選んだ営業職
「このままではいけない」と自分に負荷をかけて、あえて恐怖症克服のために、営業職を選んで就職しました。しかし人間恐怖を抱えたまま勤まるほど営業というのは甘くありません。実際入社して同期が次々成果を出していく中で私だけが成績をあげることができずに苦悩していました。
ようやく入社から半年近くたってやっと成果を出せましたが、そこから八年半続けられたのは、我ながらよくやったよなとしか思えません。
■ 追い立てられるような退職と「続ける才能」への気づき
しかし、成績の上がらない私は、会社から追い立てられるように退職を余儀なくされました。この時、自分には「続ける」才能があると思い知りました。もしかすると、あなたにも、好きなことなら時間を忘れて没頭された体験がおありになるかもしれません。
■ 嫌なことでも続けられてしまうという特性
好きなことなら、まだわかるでしょうけど、私の場合、自分が望まないこと、自分がイヤなことでも続けられたのです。それが自分にとって「仕事」だったわけですね。この傾向は転職してからむしろ強化されてしまいました。
■ バブルの残り香と自己肯定感の低下
営業職を辞めた当時はまだバブルの残り香が漂う時代でもありました。今でなら「リーマンショック」や「就職氷河期」という理由があって、無職になることはそれほど珍しくありません。しかし20数年前は自己都合で退職する人間など社会不適合者であるという認識が、ハローワーク側にすらあった時代です。ましてや自己肯定感が低くなっている私は、自分を更に激しく責めていました。
■ 30歳での失職とコンビニバイトからの再出発
私は30歳で職を失い、コンビニのバイトから再スタートしました。
この時代、転職にも年齢制限があって、30歳を超えた人間を募集している求人はほとんどありませんでした。何とか面接にこぎつけた仕事も、結局採用されることはありませんでした。
■ コンビニでの再出発と想定外のトラブル
そこで私はコンビニのバイトを始めました。一から自分を鍛え直すつもりでしたが、思わぬトラブルに見舞われました。私を雇った店長がすぐに退職し、ベテランのバイトも次々と辞めていきました。残ったのは私一人でした。新しく来た店長は仕事の経験もなく、結局社会人経験が長い私が入店半年で実質新人の教育係として店のすべてをサポートすることになりました。
■ 副店長同然の負担と報われない待遇
しかし、この実質副店長状態になってもシフトが増えるばかりで給与は上がらず、生活はどんどん苦しくなる一方でした。やっと正社員になったと思ったら、給与は固定給となり手取りは減ってしまいました。その上、人件費削減でバイトのシフトを大幅に減らされたため、朝夜問わず店に出ずっぱりになってしまいました。
結局、11年半いたこの職場も不条理な形で解雇され、私は再度無職になりました。
■ 再就職の困難と自信喪失
10年歳を重ねた分、再就職活動はさらに難しくなっていました。面接には落ち続け私はすっかり自信を失っていました。
このような状況でもはや何のために生きているのかわからない状態のときに、突然猛烈な吐き気が私を襲いました。ほどなく寝たきりの状態になりました。40歳を迎えたばかりのころのことです。
■ 2年間の寝たきり生活と他者への不信感
そこから2年間天井だけを見つめ、栄養は点滴だけという生活が続きました。原因を周りのせいにばかりして過ごしていました。自分を首にした会社が悪い、自分をこんな目に合わせた人間が憎いと思っていました。頼みの綱の医師にすら不信感と疑念を抱いていました。
■ 新薬との出会いと一時的な回復
転機はそんな中で訪れました。いろいろ試されていた新薬の中で一種類劇的に効果が出たものに出会えたのです。これによって私は寝たきり生活から一時的に解放されたわけです。しかし解放されただけで、矛盾した感覚の問題はそのまま放置していたのです。ご飯は相変わらずのどを通りませんでしたし、数時間は外に出ても平気でしたが、長時間の活動、ましてや勤務などというのも夢のまた夢でした。こういう状況で働き口を探せと言われても正直困り果てるしかありません。
■ 長期の寝込み生活と両親からの厳しい叱責
このように長い間寝込んでいる間、一向に成果を出せない私を両親が厳しく叱責してきました。寝てる暇があるなら何か資格を取れというわけです。最初は「ボイラー技士」の免許をとらされそうになったのですが、それには激しく抵抗しました。
■ パソコン基金訓練での新たな軋轢
結局パソコンの基金訓練に通うことになりました。しかし、そこでも他の受講生との軋轢に悩まされました。ここでも味方は誰もいませんでした。卒業すれば少ないパイを奪い合う敵同士です。仲良くできるはずもありませんでした。
■ 失意の中で出会った一枚のチラシ
失意の中、次の展開を考えねばならず途方に暮れていた時に一枚のチラシと出会います。それが心理カウンセラーの養成を行うという、後に私が通う学校のものでした。ここでやっと自分と本気で向き合う必要性を痛感したわけです。もっとも最初の動機は「このまま薬を飲んでいてもいいことないから、自分の心の仕組みを知って再発も防いでいけたらいいな」というものでした。
■ 「続けられる」特性とその影の部分
私はもともと「続けられる」ことが得意でした。好きなことなら寸暇を惜しんで続けられますし、嫌いなことでも続けられます。しかし、それは必ずしも良いことではありませんでした。自分の気持ちに無頓着で、周囲に流されて生きていました。
学院ではカウンセリングのやり方を主に学んでいました。そこでは個人カウンセリングを受け付けていました。授業は月2回3時間の二コマずつでした。それほど負担にならないと思っていましたが、現実は結構厳しいものでした。
■ カウンセリングとの出会いと「ハグのセラピー」
私は学院でカウンセリングも受けていました。
カウンセリングルームでは、学院の先生が個別に対応してくれます。私は最初から特定の先生を指名していました。その先生はハグを使うセラピーを用いていました。これは、文字通り先生とハグすることで心理的な安心感や愛着感を得ることを目的としたセラピーです。
■ スキンシップへの嫌悪とハグがもたらした劇薬性
私はそれまでスキンシップというものがすごく苦手で握手するのも嫌悪感をもっていました。しかし自分と向き合ってこなかった私は、自分にそういう苦手意識があることすらわかっていませんでした。もちろんハグに関しては私も了承したうえで行ったのですが、いざやってみたら何とも言えない気持ち悪さでいっぱいになったのです。実はのちにハグというのは、愛着形成に欠損のある私のようなタイプには効果的であると同時に結構「劇薬」であることも知りました。
■ 薄皮をはがすように続く自己との向き合い
私の場合、ハグは劇薬だったわけです(余談ですが、現在のカウンセリングではハグをしないことが一般的になっています)が、これによって薄皮をはがすかのように、ていねいに自分の問題と向き合って解決していく、とても辛抱のいる時間のかかる作業になることを、私は覚悟したのです。ハグの体験に関してはそれ以降ほぼなかったのですが、薄皮をはがすたびにいろんな問題が浮上してきては、その都度大変な目にあっていきました。
■ 忘れられない「真っ暗な階段」事件
カウンセリング体験の中でもう一つ忘れられない出来事があります。
ある日カウンセリングを終えて、事務局の方と先生に礼を言って、私は学院の外にでました。
当時学院は古いビルの最上階にあり、夜になると階下のテナントは営業を終了しており、階段は真っ暗でした。
もちろんエレベーターなんかありません。普通なら学院に戻ってあかりをつけてもらうように頼むところですが、その時の私はなぜかそのまま階下に降りていきました。
階段はかなりの急傾斜で一歩踏み外せば大けがにつながっていたでしょう。
しかし、幸いなことに私は壁を伝ってどうにか一階まで降りきりました。
■ 「SOS」を出せなかった自分との対峙
ところが一階入り口にはシャッターが降りていて、自分では開けられません。ここではじめて私は学院に電話して「SOS」を発信しました。
本来なら階段が真っ暗な時点で引き返せば大事に至らなかったはずなのに、この時の私は「自分でなんとかしなければ」と思い込んでいたのです。
この感覚は、自分自身と向かい合う闘いの中で今もなお現在進行形で立ち向かっています。
しかし、その闘いを通じて私は自分の人生を切り開きはじめたような気がしています。
■ カウンセリングの限界と卒業の理由
カウンセリングで出来ることには限界があります。最終的に私がカウンセリングから卒業できたのは、自分自身の問題と向き合う力を取り戻したからです。私がカウンセリングにおもねって、依存していたら、未だにカウンセリングから離れられずにいたことでしょう。
■ 自分の選択を貫く生き方へ
そして、自分自身と向かい合う闘いは今もなお現在進行形で続けています。しかし、その闘いを通じて私は自分の人生を切り開くことができました。私は自分が好きなことや嫌いなことをハッキリさせて、自分の気持ちに忠実に生きるようになりました。それは周囲から反発や批判を受けることもありましたが、それでも私は自分の選択を貫きました。
ヨガとの出会い ― 心だけでなく身体からの変化
北九州に通うようになって体験した、大きな変化の一つにヨガとの出会いがあります。カウンセリングについては、心の面からアプローチして、問題解決に励んできましたが、身体に刻まれた記憶というのはそう簡単に抜けなかったのです。
運動禁止から一転、潮目が変わる
加えて、私は長い間運動を医師から禁止されていました。ところが潮目が変わるタイミングが来たんでしょうね。2017年3月ごろに、当時通っていた医院の先生から「軽い運動」からということで許可がおりました。現在のヨガの師匠とも、時期は多少前後しますが、同じようなタイミングで出会い、潮目が変わる時期にヨガにお誘いいただきました。
かつての運動習慣とブランクの壁
もともと病に倒れる前はスポーツジムにも10年ばかり通っていたこともあり、いわゆる身体を動かすのは嫌いではありませんでした。ところが私が寝たきりになるタイミングでジムも倒産してしまい、そこから運動とは遠ざかってしまいました。
ただ、ジムでは専門のトレーナーもおらず、自己流でやるしかなかったので、いつかきちんとした先生について指導してもらいたい、という希望は持っていました。そこへ来てのお誘いでしたから、これは天啓だと思い、体験入学したわけです。しかし、最初はやはり運動から離れていたブランクで、今なら楽勝で出来るポーズでさえ、悪戦苦闘していました。
身体に染みついていた“余計な力”との対面
そして、想像以上に自分の身体に余分な力が入りすぎていたことに、唖然とされられました。自分はリラックスしているつもりが、無意識のうちに身体を強張らせていたことに気付かされたのです。身体を強張らせて、長い間身を守り、習慣化させてきたことは、一朝一夕では解決できない課題として、今も取り組み続けています。
ヨガがもたらした三つの変化
ヨガをはじめて1年くらいたつと、はじめた頃よりも明らかに体調が良くなっている実感があります。具体的には、
①痛みの軽減
②睡眠の質の向上
③脱力効果
の3つが実感できています。いずれも長い間、私を悩ませてきた課題だったため、これらが改善されていることは、私にとっては無情の喜びでもあります。もっともまだ道半ばという感覚もあるので、今後も自分と向き合って、無駄な力を入れずに済むようにする。より脱力できる人生をおくるために、続けていきたいと思っています。
痛み軽減 ― 凝り固まった身体を解きほぐす
ヨガの効果について、もう少し詳しくお話しましょう。まず、痛みの軽減についてですが、私はカウンセリングを受ける前から、慢性的な頭痛や背中の痛みに悩まされていました。これはストレスや緊張が原因で、筋肉が硬直していることが大きな要因でした。ヨガでは、呼吸法やポーズを通して、身体の柔軟性や血流を改善することができます。特に私は、肩甲骨周りや骨盤周りのストレッチが効果的だと感じました。これらの部位は日常生活で使われることが少なく、凝り固まりやすいのです。ヨガでこれらの部位をほぐすことで、痛みが和らぎ、身体全体が軽くなりました。
睡眠の質向上 ― 心身が静まる夜のヨガ
次に、睡眠の質の向上についてですが、私は不眠症にも悩んでいました。寝つきが悪かったり、途中で目が覚めたり、夢を見すぎたりして、熟睡できない日が多かったのです。これもストレスや緊張が原因で、心身ともにリラックスできない状態でした。ヨガでは、呼吸法やポーズだけでなく、瞑想やリラクゼーションも行います。これらは心を落ち着かせる効果があります。特に私は、寝る前にヨガをすることで、睡眠の質が向上したと感じました。ヨガで心身を整えることで、深く安らかに眠ることができるようになりました。
脱力効果 ― “身構えて生きてきた自分”からの解放
最後に、脱力効果についてですが、私は無意識に身体に力を入れすぎている癖がありました。これは自分を守るための防衛反応だったのだと思います。しかし、これは逆に身体に負担をかけていたのです。ヨガでは、呼吸法やポーズを通して、身体の余分な力を抜くことを意識します。特に私は、呼吸と動きを連動させることで、脱力効果を感じました。ヨガで身体の余分な力を抜くことで、心も軽くなりました。
以上が私がヨガで実感した効果です。
ヨガの再開と新たな生活リズム
結果、2024年に一旦レッスンをお休みしましたが、2025年11月よりヨガのレッスンに復帰し、週一ではありますが、ヨガは続けています。
突然やって来る介護 ― 見えない足音の正体
さて、年齢を経てくると直面するのが介護問題です。介護はある日突然にやってきます。実はゆっくりゆっくり忍び寄ってくるのですが、目には見えないため、意識したときには大変なことになっています。
自分の人生と両親の高齢化が同時進行で進むなかで
私は40代でうつ病を発症し、自分の人生にも悩んでいましたが、その裏で両親も高齢化していました。父は脳梗塞と心臓の手術を経験し、母は膝の手術を受けました。二人とも要支援となり、リハビリに通うようになりましたが、すぐにやめてしまいました。
その後、私は一人暮らしを始めましたが、母が腹痛で入院し、父が脳出血で倒れました。コロナ禍で面会もできず、両親の介護に追われる日々が始まりました。