私的プロレススーパースター烈伝(3)リッキー・スティムボード
ルーツと異名の謎
今回は「南海の黒豹」リッキー・スティムボート選手のご紹介です。リッキー選手は、ポーランド系英国人の父親と、京都生まれの日本人の母親との間に生まれました。
公式プロフィールでは、ギミックの設定上、出身地をハワイ州ホノルルとしていたり、全日本プロレス中継で「母国・日本」と紹介されたこともありますが、事実はフロリダ州タンパの生まれです。
日本で定着した「南海の黒豹」という異名は、おそらくハワイ生まれという設定から名付けられたものと思われます。
最強タッグでの激闘
リッキー選手は1980年11月に初来日し、ディック・スレーター選手と組んで全日本プロレスの「’80世界最強タッグ決定リーグ戦」に出場しました。
来日第1戦となる開幕戦では、アブドーラ・ザ・ブッチャー&キラー・トーア・カマタ組と熱戦を演じ、シリーズ中にはザ・シーク選手とのシングルマッチも行われました。以降も全日本の常連外国人として活躍し、ミル・マスカラス選手やジャンボ鶴田選手らとの好試合を通じて、日本でも高い人気を獲得しました。
語り継がれる名勝負
入場テーマ曲にはYMOの『ライディーン』が使用され、1982年にはジェイ・ヤングブラッドとのコンビで「’82世界最強タッグ決定リーグ戦」に出場しています。
このリーグ戦の初戦では、ブルーザー・ブロディ&スタン・ハンセンの「ミラクルパワーコンビ」と激突。圧倒的な体格差から不利と囁かれながらも、互角以上の戦いで名勝負を演じ、後年まで語り草となっています。
また、1984年にはデビッド・フォン・エリック選手の急逝により空位となったUNヘビー級王座決定戦にエントリーし、天龍源一郎選手と王座を争ったこともありました。
世界一のアームドラッグ
リッキー選手はその東洋的な顔立ちから、米国ではブルース・リーにちなんで「ザ・ドラゴン」という二つ名で呼ばれていました。しかし、本人自身はカンフーの使い手というわけではないため、派手な蹴り技などを試合で見せることはありません。
では、何がリッキー選手の真骨頂かと言えば、それは「サイクロン・ホイップ(アームドラッグ)」です。これに関しては世界随一と言っても過言ではないでしょう。
この技は彼の代名詞であり、最高の名手として評価されています。現在でも、選手が美しいフォームでこの技を繰り出すと「スティムボートのようなディープ・アームドラッグだ!」と実況されるほどです。
魂を継承する門下生
リッキー選手は引退後も後進の指導に励んでおり、WWE時代はハウスショー(定期興行)にて、テストマッチ形式で若手を相手に試合を行っていました。
2020年の『レッスルマニア36』2日目のメインイベントに登場したドリュー・マッキンタイヤ選手は、このテストマッチを長く受けていたことで知られています。
タンパに懸ける想い
2020年のレッスルマニアは、当初の予定通りであればフロリダ州タンパで開催されるはずでした。師匠とも言えるリッキー選手の故郷で、弟子のマッキンタイヤ選手がタイトルを懸けて闘うという展開は、プロレスファンとしても非常に胸が熱くなる物語です。
タンパでのレッスルマニアは翌2021年に実現しましたが、改めてタンパでレッスルマニアを開催し、マッキンタイヤ選手がWWE王座戦の王者としてメインイベントを飾ってほしいと願っています。
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