プロレス的随筆徒然草(1)プロレスへのモヤモヤ
プロレスへのもやもや
今回は古参ファンの一人として、プロレスへのもやもやを語ってみます。
私は昨年まで現在進行形のプロレスも生観戦しており、だいたい年20大会は見にいっています。
国内のメジャーどころには関心が薄いですが、インディ団体や社会人プロレスは大好きでよく見にいっていました。
メジャーには辛口
メジャー団体に関しては配信という手段で観る事が多いですが、地元もしくは近隣に来た時はなるべく足を運ぶようにしていました。
基本、自分の趣味がインディ寄りなんで、メジャーと呼ばれる団体には概ね辛口になる傾向があります。
理想とするプロレス像
プロレス界における「メジャー」と「インディ」の定義は、団体の規模、知名度、ファン層、集客力などによって異なります。
ただし、自分の中では理想とするプロレス像があり、それにそぐわない場合はインディでも辛口になるのです。
回顧趣味になりがち
私の好みは技や動きに説得力があり、闘いとして試合に意味を持たせられる内容を見せてくれる団体や選手ということになります。つまり・・・
私は理想のプロレスありきで実際のプロレスをみているため、どうしても懐古趣味になりがちですし、言い回しを間違えると老害と呼ばれてしまいます。
まあ、老害に関しては自覚があるので、言われても気にしないようにしていました。
危険なプロレスには
しかし、本当は老害とさげすまされる事は怖いし、少数派の意見をわざわざ声高に主張することも怖いのです。
そんな自分を正当化するために、かつて応援してきた選手たちの悲惨な晩年をたくさん目の当たりにしてきた事実を持ち出して、危険な方向に走るプロレスには賛同しないというスタンスをとっていたのです。
四天王プロレス
危険なプロレスという事でいうなら90年代に流行った四天王プロレス。あれには私も熱狂した一人でした。
今思うとあきらかにやりすぎなプロレスだったわけですが、当時は自分自身エスカレートする欲求が止められず、選手たちもまた熱にうなされるかのように危険な技の応酬に走ってしまいました。
四天王プロレスに対する熱狂は当時それを支持した私の罪でもあります。
モンスターバトル
だからこそ、今のプロレスに歓喜する今のファンに対して、否定的な意見を投げかける資格自体がないのです。
思い返してみるに、プロレスは肉体と肉体がぶつかり合うコンタクトスポーツのはずです。
例えば、スタン・ハンセン対アンドレ・ザ・ジャイアント戦みたいに、人間離れしたモンスター同士がぶつかり合うだけでも試合になっていました。
ボロボロな闘い
ところが、サイズが小さい日本人対決が中心になると、迫力の不足分を、より一層の激しい攻防でカバーせざるを得ません。
相手から逃げずに攻撃を受け、派手に受け身を取る。日本人対外国人がスタンダードだった時代よりはるかにボロボロな戦いを強いられました。
超人嗜好
こうして、いつしか日本人同士が戦いの中心になり、過激さに慣れたプロレスファンはモンスターより超人を求めるようになりました。
気がついたら私もその超人嗜好に染まっていたのです。
巨漢と呼ばれる選手が空中戦を行う現在、ファイトスタイルでヘビー級、ジュニアヘビー級を区分けするのは困難になってきました。
ジュニアとヘビーの違い
プロレスにおけるヘビー級とジュニアヘビー級の違いは、主に体重制限とファイトスタイルにあります。
ヘビー級は、体重100kg以上の選手向けの階級で、どの団体でもジュニアがメインになることはなく、こちらの階級が各団体における主要階級です。
華のある試合
一方、ジュニアヘビー級は、100kg未満の選手が対象の階級で、100kg以上の選手は絶対に参加することができません。
ジュニアヘビー級の試合は、体が軽くて小さい選手ばかりのため、バック転・バック宙を取り入れた技や体操の選手がやるような技など、アクロバティックな技が見られ、華のある試合が見られるのが特徴です。
ヘビー級でも
しかし、最近ではヘビー級の選手でも空中戦をする選手が増え、ジュニアヘビー級の特徴であったスピードやキレをヘビー級に持ち込む選手も増えてきました。
これにより、ヘビー級の試合の幅が広がり、視覚的な違いが少なくなってきています。
したがって、ヘビー級とジュニアヘビー級の選手を見分けるのは難しくなってきています。
過激な技や受け身
要するに昔だとジュニアの専売特許だった領域にスーパーヘビー級の選手たちが入り込んでおり、更には四天王プロレスに対するアレルギーが薄くなったからなのか、最近はまた過激な技や受け身が見られる試合が増えてきました。
プロレスにおけるヘビー級の試合スタイルは、その力強さと重厚感が特徴とされています。
視覚的インパクト
古来からのヘビー級の試合は、選手の体格と力を活かしたパワーファイトが主流で、投げ技やパワーボム、スラムなどの力任せの技が多く見られました。
しかし、近年ではヘビー級の選手でも空中戦を取り入れるなど、技のバリエーションが増え、スピード感やテクニックを重視するスタイルが増えてきています1。これは、視覚的なインパクトや試合の展開の面白さを追求する結果とも言えます。
重量感や説得力
それでも、ヘビー級の試合にはその体重とパワーによる「重量感」や「説得力」が求められます。これは、選手の体格と力を最大限に活かした試合展開や、技の見せ方、試合のストーリーテリングなどによって表現されます1。
例えば、新日本プロレスのアントニオ猪木選手が育てた「ストロングスタイル」は、リアルな実力とグラウンドをベース重視したスタイルでしたし、ジャイアント馬場さんのプロレスは、その「重量感」や「説得力」が評価されてきました。
境界線が曖昧になると
したがって、ヘビー級の試合スタイルは進化し続けているものの、その根底には「重量感」や「説得力」が必須であり、その境界線が曖昧になると言うことは、ヘビー級の存在意義を脅かすものになっていると思うのです。
正しい受け身さえ練習していれば、ヘビー級の選手でも五体満足でいられるのではないか?という意見に対しても私自身は懐疑的に思うようにもなってきました。
ダメージが蓄積
そもそもヘビー級はジュニアヘビー級以上の体重を背負っています。その分のダメージは自分の体に跳ね返ってきます。
したがって安全とされる受け身だって、取り続ければ身体にダメージが蓄積され、知らず知らずのうちに痛みや負傷箇所が慢性化していくでしょう。
身体へのダメージ
人間はいつまでも若い頃のパフォーマンスができるわけではありません。最近自分でも加齢と共にそれは痛感しています。
過激な受け身を取り続けることは、それだけ身体にダメージがたまっていきます。
レスリング
プロレスは色々なジャンルがあって、スタイルがあったいいし、それこそがプロレスの多様性だと思います。
でもプロレスのレスは「レスリング」なのは変わらないはずです。あくまでもプロレスとは「プロフェッショナルレスリング」の略称であり、「プロレス」という独立した言葉ではないんですよね。
独り歩きは危険
この「プロレス」が独り歩きしちゃうと危険なんじゃないか、と私は思っています。
どんなに時代が変わってもやはり基盤であるレスリングは大事にしてほしいですし、それが出来る選手こそがリングに上がってほしいのです。
プロレスではない
それをおろそかにしたまま「受け身は練習してるから大丈夫」といきなりアクセル全開にして踏みっぱなしになるような試合を、私はプロレスと呼びたくありません。
レスリングをおろそかにしたツケはいずれいろんなところに跳ね返ってくるでしょう。
感覚が麻痺
間違った方向に突き進んでしまえば、大惨事がおこりかねないのも、プロレスです。
しかし、プロレスラーもプロレスファンも何処か感覚が麻痺しているかのような試合が最近多いように感じるんです。
レスラー側の、怪我を含めた体調不良は慢性化していると私はみています。
無機質なゲーム感覚
それでも普段以上のプロレスを要求するTV視聴を含めた観客にはかつての自分を見るようで正直ゾッとします。
何か事故が起きても何処か無機質なゲーム感覚を感じでとても怖いんですね。
こんなことを生身の人間に命まで要求して、本当に良いのでしょうか。
軌道修正
どの試合がどうとはいいません。ただ理屈に合わない動きや説得力にかける動きがたくさん見られる試合を私は好みません。
これが個人の感想で終わらせてヨシとしてしまう傾向にも私は違和感を感じています。
ただ、プロレスでは危険になりすぎると選手や団体で少し軌道修正されたりして、またちょうどいい具合になって落ち着いてきた歴史もあります。
振り子の揺らぎ
一旦安定はするんですが、時間が経つと選手やファンがハイクオリティーとか危険という刺激を求めて、更に過激な攻防になっていきます。
それがいいとか悪いとかはここでは語りたくないんです。もしかすると振り子の揺らぎみたいな、自己反省と軌道修正がなされて今日のプロレスがあるのならば、それはそれでアリだと私は思っています。
正常に戻すタイミング
ですが、問題はその振り子の振れ幅を正常に戻すタイミングだと思うんです。
かつて四天王プロレスをヨシとしてしまった世代のプロレスファンとしては、どうも腑に落ちないのです。
掌の上で踊らされる
かと言って、余計な心配をしすぎて盛り上がりに水を差したくない気持ちもあるのです。
これは好みの問題というより、長年見てきた人間の勘みたいなものです。
特にいにしえのプロレスラーのように、観客を手のひらの上に乗せられる技量をもつ選手が少なくなり、レスラーが観客に求められるままに観客の手のひらの上で踊らされている現状をみていると、老害扱いされても何か言わないといけないんじゃないか?このまま黙っていていいんだろうか?と常に思わされています。
危機意識は正しく
その表現は大変難しいものです。
しかし、危機意識は正しく伝えるためにはまず話してみることが必要です。
プロレスファン同士で不毛な口論をしても意味がないのです。
非常ベルを鳴らす役割
やっぱり自分は古い人間ですから、自分の中のモヤモヤをそのままにはしておけないですね。
それをどう形にしていたらいいのか?自分のプロレスファンとしての度量が問われている気がしてなりません。
そこら辺の匙加減の難しさを痛感しつつも、それでも折に触れて非常ベルを鳴らすのが、老害プロレスファンの役割なのかもしれません。