プロレス的発想の転換のすすめ (80) プロレスに学ぶ信頼の形
心理的安全性の定義とは
今回は心理的安全性とプロレスのお話です。
その前に、まずは心理的安全性について解説しておきましょう。決して難しい話ではありません。
「心理的安全性(psychological safety)」とは、組織の中で自分の考えや気持ちを、誰に対してでも安心して発言できる状態のことです。
組織行動学を研究するエドモンドソンさんが1999年に提唱した心理学用語で、「チームの他のメンバーが自分の発言を拒絶したり、罰したりしないと確信できる状態」と定義しています。
共有されるべき安心感
メンバー同士の関係性において、「このチーム内では、メンバーの発言や指摘によって人間関係の悪化を招くことがない」という安心感が共有されていることが重要なポイントです。
心理的安全性が高い状況であれば、質問やアイデアを提案しても受け止めてもらえると信じることができ、思いついた考えを率直に発言することができます。
我慢と演技という壁
しかし、たとえばうつ病を患ってしまうような人は、往々にして「我慢」と「演技」がうまいものです。
これはうつ経験者である私自身の大きな特徴でもあり、同時にウィークポイントでもあります。
演じすぎて気付けない心
うつを患うほどの人は、本当は辛くて苦しいのに、すべてを自分で抱え込んで誰にも分からないように隠してしまいます。
あまりに「役者」として振る舞いすぎて、本人でさえ自分の本心に気がついていないことも多々あります。
自覚なく自分を騙す強さ
私は「自分に正直になる」ことが恐ろしく苦手です。
だからこそ、自覚なく「自分に嘘をつく」ことができ、「自分を騙せて」しまうのです。
そんな、うつになってしまうような人は決して弱くないし、甘えてもいません。むしろ、非常に強い人間なのではないでしょうか。
安全性の獲得は困難
しかし、その強みが弱みに転じたとき、自分を攻撃したり、心を病んだりしてしまいます。
私やあなたがこうした特性を抱えたまま、個人の努力だけで自主的に心理的安全性を獲得するのは、非常に困難であると言わざるを得ません。
他人に求めることの葛藤
かといって、いちいち周囲にアピールしたり説明したりするのも煩わしいものです。
そもそも、それが簡単にできていれば、うつになどなりません。
また、心理的安全性を他人にばかり要求することには、正直なところ気が引ける側面もあります。
受身という名の信頼技術
プロレスにおける「受身」は、心理学的に見れば究極の信頼の体現です。
バックドロップやジャーマンスープレックスといった投げ技は、投げられる選手が「相手が自分を安全に落としてくれる」と信じて体を預けなければ、成立しません。
この「あえて無防備な自分をさらけ出し、相手の技術に委ねる」という行為こそが、組織における心理的安全性の本質です。
痛みを分かち合う仕組み
相手の攻撃を正面から受け止め、マットに体を打ち付ける。
この一連の動作には、お互いの安全を確保し合うための「見えない合意」があります。
心理的安全性が高いチームも同様です。
誰かが厳しい意見(攻撃)を投げかけても、受け手がそれを「組織を良くするためのもの」として正しく受身を取ることができれば、その闘いは決して破滅的なものにはならず、より高い次元へと昇華されるのです。
ギスギスしていた昭和
とはいえ、昔からそうだったわけではありません。
プロレス会場の空気は時代と共に変化してきました。昭和の時代の闘いは、それこそ空気がギスギスしていて、多様性のかけらもなかったのです。
推しを堂々と推せる幸せ
それが今では、たとえ悪役(ヒール)であろうと反体制派であろうと、自分の「推し」を堂々と推せる環境に変わっていきました。
これは私にとっても非常にありがたい変化でした。
心理的安全性という点で見れば、現代のプロレス会場とプロレスファンが作り出す空気は、非常にレベルの高いものです。
これは実際に時代の変化を肌で体験し、私自身が感じてきたことです。
今のプロレスファンが作り上げている寛容な空気感は、ファンとして大いに誇っていいことだと思います。
多様性と心のプロレス
多様性が重要視される時代にあって、「心理的安全性」の問題は、皆で考えるべき大切な課題です。
プロレスのリングの上では、正統派のベビーフェイスも、極悪非道なヒール選手も、それぞれの個性をぶつけ合いながら一つの闘いを成立させています。
かつては敵役への声援はタブー視されることもありましたが、今は違います。
どんな生き方であっても、その「闘い」そのものを認め合う土壌がファンの中に育っています。
人間心理も同様です。強さも弱さも、演じている自分も素の自分も、すべてをリングに上げるレスラーのように受け入れられる場所が必要です。
否定せずに見守る視線
誰かが「自分」という闘いを必死に続けているとき、それを否定せずに見守る観客のような視線が社会にあれば、うつに苦しむほど自分を追い込む人は減るはずです。
互いの存在を認め合い、誰もが安心して自分のリングに立てる社会。
そんな心理的安全性のあり方を、私たちはプロレスという熱い闘いから学ぶことができるのではないでしょうか。
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