プロレス的発想の転換のすすめ(73) 伝説を逃した日の後悔
数多くの悔い
今回はプロレスにおける「後悔」の話です。
私は四六時中あちこちのプロレス観戦に出かけているため、概ね後悔などは残していませんが、それでもいくつか悔いが残る大会、つまり「行けば良かった」と後で悔やんだこともあります。
年二回の貴重な機会
昭和62年に社会人デビューした私は、その年に新日本プロレス、全日本プロレスをそれぞれ下関で生観戦しました。
今ほど地方でたくさんプロレスの闘いが観られる時代ではありませんでしたから、だいたい年2回観られたら上等でした。
当時の心の余裕
しかし、当時はまだ北九州や博多にまで足を伸ばす精神的な余裕がありませんでした。
ところが当時、新日本プロレスはともかく、全日本プロレスはなかなか下関に来ないわけです。
迷いの中の楽観
そんなわけで、半年後に北九州で全日本プロレスが大会を開くと知った時は相当迷いました。
なんといっても、前年のメインイベントに出ていたハル薗田選手が一ヶ月後に飛行機事故で帰らぬ人になったばかりです。
一期一会の重みを噛み締めていながら、一方では「きっとまた次の機会があるさ」と根拠のない楽観主義を決め込んでおりました。
巡り合わせの悪さ
とはいえ、全日本プロレスにブルーザー・ブロディ選手が戻って初の近郊開催でしたから、やはり心は揺らぎました。
タイミングが悪いことに、それまでの近郊開催の闘いには、全日本時代も新日本時代もブロディ選手は来日しておらず、またとないチャンスでした。
新日本時代は私が広島にいたこともあって、タイミングが合いませんでした。「どうしよう?行けないことはない。だが、しかし……」
新人時代の葛藤
この時代、私はまだ新人の域を出ないセールスマンでした。
実績がないと自由に退社することもままなりません。
成績も決して良い方ではありませんでしたからね。 プロレスの闘いが開催されている日に、あてどもなく成果を求めて歩いても、一向に事態は好転しませんでした。
迷路の中の躊躇
もうひとつ躊躇したのは、今でこそナビのおかげでほぼ迷わずに目的地に行けますが、実はこの当時、私は西日本総合展示場に行く時ですら道に迷うような方向音痴でした。
もしこの時代にアントニオ猪木さんが「行けばわかるさ」と発言していたならば、迷ってでも行っていたかもしれません。
しかし、私は散々躊躇したあげく、観戦を見送りました。
突然の悲劇と後悔
その二ヶ月後、ブロディ選手は1988年7月19日、プエルトリコでホセ・ゴンザレスに刺殺され、帰らぬ人になってしまいました。
「悔やんでも後の祭り」とはまさにこのことです。
既にブロディ選手を知らない世代が多数を占めるほど時は過ぎ去ってしまいましたが、あの時の決断は一生後悔し続けるかもしれません。
消えない心の火影
だからブロディ選手に対する想いは、亡くなって30年近くの時間が流れてもなお、私の中では未だに焼き付いて離れないのです。
私が数多くの闘いを観戦し、少しでも多くのプロレスに接していたいという願いは、ブロディ選手と薗田選手のことがあったことに大きく起因しています。
RINGSへの想い
ほかにもチケットを買ったのに行けなかったRINGSの福岡大会も後悔のうちの一つです。
ですが、こちらはWOWOWで見ることができたので、まだましでした。
もしも、の話ですが、下関二回目の観戦になった新日本の闘いで、前田日明選手がクラッシャー・バンバン・ビガロ選手にフォール負けしてなかったら、私は熱狂的なU信者になって博多などにも通い詰めていたでしょうし、このRINGSを生観戦できなかったことを死ぬほど悔いたことでしょう。
運命の分岐点
でも当時、萩に続いて下関でもフォール負けした前田選手を見てからは、私の心はアメリカンプロレスに傾いてしまい、現在に至っています。
これも何かの縁というやつなのでしょうか。
格闘系のプロレスは決して嫌いではありませんでしたが、アメリカンプロレスのきらびやかさに比べると、どうしても自分的にはしっくりくるものが少なかったのです。
知的な超獣の正体
ブロディ選手の死後、たくさんの「ブロディ・コピー」が生まれてきましたが、正直どれもこれも今ひとつというか、心をぐっと掴まれるような選手には未だ巡り合っていません。
古舘アナがブロディ選手を指して「インテリジェンス・モンスター」と呼んだのは、言い得て妙だと私は思っています。
唯一無二の存在感
形だけ真似てもインテリジェンスな部分まではコピーできない。
それこそが不世出のレスラー、キングコング・ブルーザー・ブロディという選手のオリジナリティでもあります。
決して新聞記者からプロレスラーになったからだとか、大学出だからインテリだとか、そういう浅い部分ではないインテリジェンス。
孤高ゆえの終焉
それがブロディ選手の魅力でもあり、同時に疎まれた部分だったのかもしれません。
自分より小さい選手は見下し、他人に妥協しない孤高のインテリ。
それゆえに多くのトラブルを発生させ、あちこちで恨みを買い、最後は刺殺という最期を迎えてしまったブロディ選手。
一期一会を逃した後悔
彼の闘いは、もはや映像の中でしか見ることはできません。
あの時、北九州へ向かっていれば。その一歩を踏み出さなかったことで、私は「本物の超獣」と空間を共有する最後のチャンスを永遠に失いました。
プロレスという名の、いつ終わるとも知れない真剣勝負の連続において、明日があるという保証はどこにもありません。
あの日、あの場所でしか味わえなかった熱狂と殺気。
それを逃した痛みは、今も私に「一期一会」という言葉の重みを突きつけ続けています。
プロレスの闘いにおいて、一期一会のチャンスを逃したことは、やはり悔やんでも悔やみきれないのです。
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