答えなき闘いの行方(1) プロレス細分化の真実
企画の幕開け
2026年より、新たに新企画をスタートします。
本企画は「プロレスとは何か」という、正解のない問いに対して、延々と思考を巡らせる内容になるでしょう。
第1回は「プロレスの細分化はなぜ起きるか?」という課題を掘り下げます。
馬場さんの金言
かつてジャイアント馬場さんは「シューティングを超えたものがプロレスだよ」という名言を残しました。
これは、佐山聡選手が創設した格闘技の「修斗」ではなく、相手を潰す実戦的な意味合いの隠語「シューティング」を掲げた第一次UWFに対しての発言でした。
強者の必須条件
馬場さんがアメリカ遠征を行っていた1960年代、トップレスラーにとってシュート技術は「できて当然」の技能でした。
当時の海外修行では、隙あらば大物を喰おうと真剣に仕掛けてくる選手が多かったからです。
不測の事態を制する実力がなければ、看板を背負って全米のマットを渡り歩くことは不可能な時代だったのです。
技術の集大成
あらゆる格闘技術の集大成がプロレスであり、そうでなければ当時のマット界で生き残ることは困難でした。
数々の死線を潜り抜けてきた馬場選手にとって、第一次UWFや佐山選手が主張する「シューティング」は、あえてプロレスから切り離して強調するほどのものではなかったといえます。
猪木さんの戦略
新日本と全日本が旗揚げした当初、馬場選手は日本テレビの支援を受け、NWAルートで豪華な外国人選手を独占していました。
対するアントニオ猪木選手は、同じ土俵で戦うのではなく、「強さ」や「格闘技」を強調することで、本来一つだったプロレスを細分化して対抗しました。
猪木選手も馬場選手と同じ師を持つ身として、その概念は理解しつつも、対抗軸として「強さ」を切り出したのです。
崩れた中心軸
馬場さんの「王道」と猪木さんの「闘魂」は、二人が存命の間はプロレスの枠内に収まっていました。
しかし、1999年に馬場さんが逝去され、同時期に「PRIDE」が誕生し総合格闘技が普及します。
ジャンルの中心を担う人物がいなくなり、強さの象徴が格闘技として完全に切り離されたことで、現在の細分化は必然の流れとなりました。
ニッチ化の象徴
現代のプロレスは、特定の価値観を突き詰める「ニッチ化」が進んでいます。
DDTのようなエンタメ特化、大日本プロレスやFREEDOMSによるデスマッチの競技化、東京女子プロレスやチョコプロのようなコンセプト型の「闘い」がその象徴です。
これらは独自の進化を遂げ、コアなファンを熱狂させています。
超人たちの領域
一方で、身体能力の極限にリアリティを求める主流派も存在します。
ウィル・オスプレイ選手やリコシェ選手は、物理法則を超越した試合を見せ、飯伏幸太選手やケニー・オメガ選手は、運動能力の限界に挑戦しました。
これは総合格闘技には真似できない、プロレス独自の強さの証明です。
多様性への寛容
かつて、自分の信じる「プロレス観」以外を激しく攻撃し合う時代がありました。
例えば、特定の団体を愛するあまり、スタイルの違う他団体を「あんなのはプロレスではない」と排斥するファンの心理です。
しかし、2000年代のプロレス冬の時代を経て、私たちは「自分の嗜好以外を否定しない多様性への寛容さ」を学びました。
共犯者としてのリテラシー
人間は心理的に、自分のアイデンティティを守るために異質なものを排除しようとします。しかし、プロレス界で起きた数々の団体の崩壊や、ジャンルそのものの衰退という歴史的事件は、内紛や否定が何も生まないことを証明しました。
今のプロレスファンには、ファンタジーを理解しつつ没入する「共犯者としてのリテラシー」が備わっていると信じたいですね。
相手のスタイルを認め、自分の推しを愛する。その寛容さこそが、今の多種多様な「闘い」を支えているからです。
時代に合わせて形を変え、3カウントの結末に魂を託す。その覚悟がある限り、プロレスという名の「闘い」は永遠に続いていくでしょう。
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