プロレス的発想の転換のすすめ(104)人生脚本とプロレス
幼少期に描く筋書き
人間は幼少期に自分自身の脚本を描き、その通りの人生を生きるとされています。
これは「人生脚本」と呼ばれ、カナダ出身の精神科医エリック・バーンが提唱しました。
この人生脚本の大部分は、幼い頃に受け取った親からのメッセージにより決定されます。
無意識下の行動原理
要するに、人は無意識のうちに生き方を決め、それに従い行動するということです。
エリック・バーンが提唱した、自己理解を深め、対人関係トラブルの原因特定と改善を目的とした考え方が「交流分析」です。
この交流分析の中で、性格に大きな影響を与えるものとして重要視されるのが「人生脚本」なのです。
存在意義への渇望
小さな子供は、「がんばらないと自分は存在価値がない」「両親の言うことは絶対で、喜ばせることが自分の役割」と感じることがあります。
それが大きなプレッシャーになってしまうと、常に心が休まらず、大人になっても不安な生活を強いられます。
負の感情を伴う人生脚本は、過去のトラウマ体験がもとになっていることも少なくありません。
困難な脚本の修正
トラウマの原因となった事象にアクセスして、経験ごと消してしまえば、それ以上苦しむことはなくなります。
しかし、無意識に形成される人生脚本を書き換えるのは、決して容易なことではありません。
私自身もこの人生脚本には随分てこずり、何十回、何百回ものカウンセリングを受け続けて、ひとつずつトラウマを解消し、ようやく「生きやすさ」を手に入れてきた経験があります。
役割を演じる苦悩
ちなみに私の人生脚本のひとつは、まさに先ほど述べた「両親の言うことは絶対で、喜ばせることが自分の役割」というものでした。
私は長男として生まれ、家を継ぐことを両親に強いられて生きてきました。
今でこそ「自分の人生は好きなように生きたらいい」と教える親御さんも増えましたが、昭和の時代は私の両親のような考え方が一般的だったのです。
誤解される筋書き
さて、最近は脚本がある出来レースのような物事を例えて「プロレス」と表現されるのを多く見かけます。
あたかも脚本さえあれば楽ができるかのような言い方ですが、人生脚本の例を見ればお分かりの通り、脚本があるからといって楽ができるわけではなく、むしろ逆の場合が多いともいえます。
決められた宿命の中で、いかに自分を証明するかという過酷な「闘い」なのです。
魂がぶつかる衝撃
たとえば、不沈艦スタン・ハンセン選手の太い腕から繰り出されるウエスタン・ラリアット、そしてそれを正面から受け切るプロレスラーの凄みを見てください。
ハンセン選手の腕は思い切り振り抜かれているので、手加減ができるレベルではないことは、一見すれば分かるはずです。
観客を魅了する説得力
このように一例を挙げれば、これこそがプロレスの魅力であり、プロレスに説得力が生まれる瞬間なのです。
これがあるからこそ、観客は熱狂していくのです。
しかし、普通の一般人が同じことをやっても、子供の遊びにしか見えないでしょう。
脚本の存在だけでは語り尽くせない、深くて見えない底なし沼……それこそがプロレスという「闘い」なのです。
台本の有無を超えて
結局のところ、人生にもプロレスにも「台本」があるかどうかは、本質的な問題ではありません。
1976年のアントニオ猪木選手とモハメド・アリさんの「世紀の一戦」や、時に起きるシュート(真剣勝負)への転換など、プロレス界では台本の有無を巡る議論や事件が絶えません。
消えない真実を刻み込む
しかし、観客が涙し、心が震えるのは、演者が背負わされた「脚本」という宿命を飲み込み、それを超える熱量を放出した瞬間です。
人は無意識の脚本に縛られながらも、その枠組みの中で必死に「今」を生き、血を流し、立ち上がります。
その生き様こそが、虚実の皮膜を破り、私たちの心に消えない真実を刻み込むのです。
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