プロレス的発想の転換のすすめ【131】休めない闘いの果て
恐怖への挑戦
「このままではいけない」と自分に負荷をかけて、あえて恐怖症克服のために、営業職を選んで就職しました。
しかし人間恐怖を抱えたまま勤まるほど営業というのは甘くありません。
実際入社して同期が次々成果を出していく中で私だけが成績をあげることができずに苦悩していました。
遅咲きの初勝
ようやく入社から半年近くたってやっと成果を出せましたが、そこから八年半続けられたのは、我ながらよくやったよなとしか思えません。
才能の誤算
しかし、成績の上がらない私は、会社から追い立てられるように退職を余儀なくされました。
この時、自分には「続ける」才能があると思い知りました。
もしかすると、あなたにも、好きなことなら時間を忘れて没頭された体験がおありになるかもしれません。
望まぬ長期戦
好きなことなら、まだわかるでしょうけど、私の場合、自分が望まないこと、自分がイヤなことでも続けられたのです。
それが自分にとって「仕事」だったわけですね。
この傾向は転職してからむしろ強化されてしまいました。
時代の逆風
営業職を辞めた当時はまだバブルの残り香が漂う時代でもありました。
今でなら「リーマンショック」や「就職氷河期」という理由があって、無職になることはそれほど珍しくありません。
しかし20数年前は自己都合で退職する人間など社会不適合者であるという認識が、ハローワーク側にすらあった時代です。
ましてや自己肯定感が低くなっている私は、自分を更に激しく責めていました。
再起のゴング
私は30歳で職を失い、コンビニのバイトから再スタートしました。
この時代、転職にも年齢制限があって、30歳を超えた人間を募集している求人はほとんどありませんでした。
何とか面接にこぎつけた仕事も、結局採用されることはありませんでした。
想定外の役割
そこで私はコンビニのバイトを始めました。
一から自分を鍛え直すつもりでしたが、思わぬトラブルに見舞われました。私を雇った店長がすぐに退職し、ベテランのバイトも次々と辞めていきました。
残ったのは私一人でした。新しく来た店長は仕事の経験もなく、結局社会人経験が長い私が入店半年で実質新人の教育係として店のすべてをサポートすることになりました。
消耗の連戦
しかし、この実質副店長状態になってもシフトが増えるばかりで給与は上がらず、生活はどんどん苦しくなる一方でした。
やっと正社員になったと思ったら、給与は固定給となり手取りは減ってしまいました。
その上、人件費削減でバイトのシフトを大幅に減らされたため、朝夜問わず店に出ずっぱりになってしまいました。
不条理決着
結局、11年半いたこの職場も不条理な形で解雇され、私は再度無職になりました。
10年歳を重ねた分、再就職活動はさらに難しくなっていました。面接には落ち続け私はすっかり自信を失っていました。
心身の崩壊
このような状況でもはや何のために生きているのかわからない状態のときに、突然猛烈な吐き気が私を襲いました。
ほどなく寝たきりの状態になりました。
40歳を迎えたばかりのころのことです。
長期欠場
そこから2年間天井だけを見つめ、栄養は点滴だけという生活が続きました。
原因を周りのせいにばかりして過ごしていました。
自分を首にした会社が悪い、自分をこんな目に合わせた人間が憎いと思っていました。
頼みの綱の医師にすら不信感と疑念を抱いていました。
劇薬の光
転機はそんな中で訪れました。
いろいろ試されていた新薬の中で一種類劇的に効果が出たものに出会えたのです。
これによって私は寝たきり生活から一時的に解放されたわけです。
しかし解放されただけで、矛盾した感覚の問題はそのまま放置していたのです。
ご飯は相変わらずのどを通りませんでしたし、数時間は外に出ても平気でしたが、長時間の活動、ましてや勤務などというのも夢のまた夢でした。
こういう状況で働き口を探せと言われても正直困り果てるしかありません。
非情な叱責
このように長い間寝込んでいる間、一向に成果を出せない私を両親が厳しく叱責してきました。
寝てる暇があるなら何か資格を取れというわけです。
最初は「ボイラー技士」の免許をとらされそうになったのですが、それには激しく抵抗しました。
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