プロレス的発想の転換のすす(75) 地域とプロレスの絆
地域密着の加速
今回は地域密着とプロレスのお話です。
プロレス観戦をし始めた約40年前と、現在の決定的な違いの一つに、プロレス団体の地域密着化が挙げられます。
そのおかげで、現在は都心部まで足を運ばなくても、地方でのプロレス観戦数は昔とそれほど変わりません。
闘いが重なる贅沢
しかし、かつては都心部で顕著だった「闘い」のバッティング問題が、地方でも発生するようになっています。
都会でしか起こり得ないと思っていたスケジュール重複を地方にいながら体感できるとは、夢にも思いませんでした。
こんな贅沢な悩みを抱えられる良い時代に生きられるのは、本当に幸せなことですね。
適切な距離感の保持
さすがに40年もプロレス会場に通っていると、プロレスファンだけでなく選手とも知り合いにはなりますが、基本的には「ファンと選手」というスタンスを崩さないよう気をつけています。
まあ、崩れてしまうこともたくさんありますけれどね。
良好な人間関係の種
プロレスの「闘い」を通じて、心から尊敬できない選手とは自然と疎遠になります。
これも不思議なもので、あえて選別しているわけではないのに、気がついたらそうなっているのです。
そうして残った人間関係は、これほど泥沼なプロレス界にあって非常に良好です。
これも面白い現象ですよね。
変化したプロレス界
さらに昔と違うのは、自分自身の意見をズバズバと言い切れるようになったことです。これも往年であれば考えにくい事実でした。
長い間、素人が口を挟もうものなら「リングに上がったことのない者に何がわかる」という反論が返ってくるのがプロレス界の常識でした。
可視化されたファンの声
要するに、批評や批判はあからさまに受け付けず「自分たちを持ち上げてくれる人間だけが味方だ」という意識がレスラーには強くありました。
それがネットの普及でファンの意見が可視化されると、一転してそうした声を重用するようになっていったのです。
矛盾が消えた40年
第三者の目を欲していながら、一方で反論を受け付けないという「プロレス村」の矛盾が、少しずつ正常な状態になっていったのかもしれません。
振り返ってみると、そんな変化の40年間だったように私は思っています。
選手へは尊敬の念を
どんなに時代が変わり、選手との距離が縮まったとしても、私たちは忘れてはならないことがあります。
それは、命を懸けてリングに上がる選手への敬意です。
たとえ言葉を交わす仲になったとしても、ロープを跨ぎ、己の肉体一つで観客を魅了するその背中には、常に変わらぬ畏敬の念を抱き続けたいものです。
四角いジャングルで「闘い」続けるすべての選手へ、心からの尊敬を込めて。
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