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[映画鑑賞記] GODZILLA 決戦機動増殖都市

2018/12/03

2018年6月1日鑑賞。

「ゴジラ」シリーズ初のアニメ作品として製作された劇場3部作「GODZILLA」の第2章。ゴジラに蹂躙された地球を取り戻すため決死の戦いに挑んだハルオをはじめとした人類だったが、地中深くから現れた真のゴジラ=ゴジラ・アースに敗退。ハルオは、かつての地球人類の生き残りと目される「フツア」と呼ばれる民族の少女ミアナに助けられる。フツアもかつてゴジラに敗れたと言い伝えられていたが、彼らの持つ金属のナノメタルが、21世紀に対ゴジラ決戦兵器として開発されたメカゴジラを構成する物質と同じものであることが判明。メカゴジラの開発プラントがいまだ残されていることが明らかになり……。「シドニアの騎士」「亜人」「BLAME!」など3DCGアニメーションで高く評価されるポリゴン・ピクチュアズがアニメーション制作を担当し、同社制作のアニメを多数手がけてきた静野孔文、瀬下寛之が監督。人気脚本家の虚淵玄がストーリー原案・脚本を担当する。(解説は映画comより)

スペシャルな存在、ゴジラ

ゴジラと私の付き合いは実に4歳の時に遡る。人生初の映画鑑賞がゴジラ映画だった縁で、そこから今までずっとゴジラと共に人生を歩んできた。

日本の国民的スーパーヒーローの中で、唯一?の銀幕スターであるゴジラ(流星人間ゾーンの客演という「例外」はあるにせよ)は、テレビにおりてこないスペシャルな存在でもあり、テレビから派生したウルトラマンや仮面ライダー、スーパー戦隊とは生まれも育ちも異なる。

ウルトラマンは早々にアニメ化されてもいるが、ゴジラは実写のものという思いこみは長年のファンであればあるほど当たり前の感覚だった。あのスケール感、あの巨大感はアニメでは表現しにくい・・・という強い思い込みがあったのだ。

それは技術革新が飛躍的に進歩した今でもあまり変わらない。だからこそ、GODZILLA 決戦機動増殖都市はシン・ゴジラ以上の冒険作であり、意欲作なのだと私は思っている。それもかなり博打的な意欲作でもある。仮面ライダー鎧武のメインライター経験もあり、「魔法少女まどか☆マギカ」によりアニメ界にも楔を打ち込んだライター虚淵玄氏の起用はまさにバクチの象徴たるポイントではないだろうか?

さて、このGODZILLA 決戦機動増殖都市のキモはやはりメカゴジラの出現だと、第1章の予告から誰しもが想像しただろう。しかし、まさかああいう形の登場になったという意味ではさ予想の遥か上をいく展開だった。

人ならざるもの、ゴジラ

しかし、虚淵玄という作家のラインからアニメゴジラ(アニゴジ)第2章「GODZILLA 決戦機動増殖都市」を紐解くと「〇〇と契約して●●になってよ」(元ネタはまどか☆マギカの「ぼくと契約して魔法少女になってよ」というセリフ)のパターンを踏襲していることに気づく。しかも●●は「人ならざるもの」という点でも過去作と共通しているし、それによって登場人物の数名が、悲劇に見舞われるあたりまで、虚淵節が炸裂しまくっている。

ただし、例えば「まどマギ」の「ワルプルギスの夜」のように、巨大だけど、不定形で正体不明な存在と比較した場合、ゴジラにはいかに巨大化しても、それはゴジラでしかない。

GODZILLA 決戦機動増殖都市の登場人物が作中のゴジラに対して感じる不安や畏怖を、私たちはどうしても同じように感じ取ることはできない。なぜなら、図らずも60年かけてゴジラは日本文化に根付いてしまっている。よくも悪くもゴジラはゴジラとしか認識できない。それはゴジラが日本人と共に築いてきた歴史であり、その年月の延長線上にアニゴジも存在するからなのだ。

したがって、その歴史を否定できない以上は、ゴジラをワルプルギスの夜と同義の存在にはどうしてもできないのだ。

だから、作中のカタストロフィをあたかもリアルにあるかのように感じられた「シン・ゴジラ」はあくまで異端であり、アニゴジとはアプローチも違うのではないか、と私は考える。

そこで怪獣プロレスに振り切らなかった点では、この映画は高い評価ができる。獣を超え、人を超え、神にもなりはじめているゴジラを倒すには、人は人のままでいられるか否か?というテーマを、アニゴジは我々に突きつけてきたのだ。これはなかなか秀逸なアイディアだったと私は思う。

肩透かしした?メカゴジラ

作中では実際にナノメタルで、人ならざるものになる選択をするものや、人ならざるものから人に近づいている進化した生物も描かれている。そして後者の手当てを受けた登場人物はナノメタルの同化ができない。このあたりも非常に象徴的に描かれている。

人ならざるものの影響でかたや人が人でなくなり、かたや人が人のままあらんとする対比は見事としかいいようがない。この昆虫から派生した種族は、見る人が見れば「インファント島の小美人」であり、彼らが崇拝する卵は「モスラ」である。ただ、直接的表現ではでてこないだけ。このあたりも意図的に怪獣プロレスを避けた工夫が見受けられる。

でなければ、メカゴジラを旧来の形のまま再現してもアニメ化した意味がない。怪獣プロレスの迫力は、いかに3DCGの技術を持ってしても、実写には到底かなわない。とはいえ、メカゴジラの登場を待ち望んでいた自分もいたことは事実だったんで、そこは肩透かしを食らった気分になったことも正直に告白しておこう。

まあ昨今では、3DCGにおいて使われている技術に関しては、アニメも実写もおんなじなんだけど、みせかたが違う以上、アニゴジが怪獣プロレスを避けたのは正解だっただろう、と今では思っている。

かくしてGODZILLA 決戦機動増殖都市は極めて虚淵色が前面に出た極めてアンハッピーな結末を迎えている。この結末を踏まえて、さらなる参戦が予定されている怪獣をどう表現していくか?第三部が待ち遠しくて仕方ない。

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