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[映画鑑賞記] シン・エヴァンゲリオン劇場版:||(ネタバレあり)

2021年3月8日鑑賞。

イントロダクション

エヴァがついに完結する。
2007年から『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズとして再起動し、『:序』『:破』『:Q』の3作を公開してきた。その最新作、第4部『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の劇場公開が決定。
人の本質とは何か? 人は何のために生きるのか? エヴァのテーマは、いつの時代にも通じる普遍的な核を持っている。
シンジ、レイ、アスカ、マリ、個性にあふれたキャラクターたちが、人造人間エヴァンゲリオンに搭乗し、それぞれの生き方を模索する。
人と世界の再生を視野に入れた壮大な世界観と細部まで作り込まれた緻密な設定、デジタル技術を駆使した最新映像が次々と登場し、美しいデザインと色彩、情感あふれる表現が心に刺さる。
スピーディーで濃密、一度観たら病みつきになるその語り口は、興行収入80億円超えの大作『シン・ゴジラ』も記憶に新しい庵野秀明総監督による独特の境地。
その庵野総監督がアニメーションのフィールドで創作の原点に立ち返り、新たな構想と心境によって2012年の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』以後、封印されてきた物語の続きを語る。

1995年にTVシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』でアニメファンのみならず、アーティストや学者までを巻き込んで社会現象を起こした初出から、実に25年――その間、常にエポックメイキングであり続けたエヴァの、新たな姿を見届けよう。(イントロダクションは公式HPより)

動画とは違う深掘り

映画見ている間もドキドキ。見終わった後もドキドキ。こんな体験はそう滅多にできるもんじゃない。始まる前から奇妙な高揚感はあったけれど、その高揚感が翌日まで持ち越したのは、いったいいつ以来だろうか?

ネタバレとは書いたけど、どこからどこまでがネタバレになるかわからないまま、この文章を書いている。

動画では主に歴史的観点からエヴァを紐解いてみたが、こちらでは動画では話しきれなかった、小松左京総監督による「さよならジュピター」とエヴァの縁を、私なりに深掘りしてみたい。

さよならジュピターとは…

1984年に制作されたSF映画。東宝側から小松左京に原作提供の申し入れがあったのが、本作を制作するきっかけとなった。かねてから日本でも『2001年宇宙の旅』に匹敵する本格SF映画を作りたいと念願していた小松は、即席の便乗企画でなく、改めて本格的なSF映画をということで、東宝と合意し、作られた(概要はwikipediaよりば抜粋)

で、あるわけだが、簡単に言えばこの作品を映像化するには、時代が早すぎた。無理もない。1980年代に大ヒットし、なんなら今でも通用する「復活の日」が書かれたのは、1960年代である。

すでに、20年、30年先を見据えられる稀代のSF作家だった小松左京さんが、唯一時代を読み間違えた。それが「さよならジュピター」だった。

さよならジュピターは黒歴史?

「さよならジュピター」はスターウォーズの大ヒットが大きく影響していたのだろう。だが、スターウォーズが世に出た時点で、日本は特撮後進国になっていた。

そして、映像に関しては素人だった小松さんは、監督を別に立てて制作した。それは門外漢なりの遠慮もあったのだろう。

しかし、それが裏目に出て「さよならジュピター」は当初の志とは似ても似つかない作品になってしまう。潤沢な予算がないのは、もちろんだが、アイディア以外の面で、日本はSF後進国にもなっていたのだ。

大作家の黒歴史が浮かばれたのは、オリジナルプロットをもとにした「小説版・さよならジュピター」が高い評価を得たことくらいだろう。

小松左京の遺伝子

だが、小松左京の遺伝子を受け継いだクリエーターたちは、「さよならジュピター」を過去の遺物にはしなかった。出渕裕監督が、ラーゼフォンの中にオマージュを登場させ、今またシン・エヴァンゲリオン劇場版:||の中に、「さよならジュピター」のテーマ曲だった「VOYAGER〜日付のない墓標」が挿入歌として使われた。

小松左京さんが、作家活動と並行して、後進のクリエイター育成もされていたことは有名だが、小松さんの愛読者だった世代が、クリエイターとなり「さよならジュピター」がなしえなかったチャレンジにトライしているのは、非常に興味深い。

実際、畑違いの映像分野でも、庵野秀明さんは積極的に関係性を構築した。それが「シン・ゴジラ」(2016年)である。

まさに、小松左京さんがなしえなかった、映像世界への挑戦をも、すでに庵野秀明はクリアにしていたのだ。

時代が早すぎた・・・

確かに「さよならジュピター」は作られた時代が早すぎた。予見された世界の数十年先をいく、稀代の大作家・小松左京にとって、80年代の邦画界は、せまく窮屈なものだっただろう。

その無念がわかるからこそ、出渕監督や庵野秀明監督は、四半世紀を超えてなお、「さよならジュピター」にオマージュを捧げ続けているのかもしれない。

そうしたオマージュにとどまらず、2021年の現在において、オリジナルの表現を子世代として超えてみせた。これこそがクリエイター・庵野秀明の矜持ではないだろうか?

親世代を超えていく子ども世代

そして、シン・エヴァンゲリオン劇場版:||は、親世代と親世代を超えていく子どもたちの物語として描かれていた。親世代が果たせなかった宿願を叶えながら、なおかつ親世代のなしえなかった表現で、子ども世代がこたえていく。

庵野秀明さんと、小松左京さんの関係性は、まるでゲンドウとシンジのそれのようである。あそこまでこじれてはいないんだろう、というのは何となく察しがつくが。

それは「さよならジュピター」の主題歌だった「VOYAGER〜日付のない墓標」の使われ方でも一目瞭然。

どこでどんな形で使われるかは書かないけど、オリジナルの「さよならジュピター」と、本来のテーマ曲だった「VOYAGER〜日付のない墓標」の親和性は非常によくなかった。

「さよならジュピター」を見ればわかるが、名曲が一人歩きして、映画の内容がついてきていないのだ。そもそも「VOYAGER〜日付のない墓標」は、ユーミンのアルバム「「VOYAGER」に収録されるはずだったという。

名曲たちの再生

しかし、映画「さよならジュピター」の制作が遅れた事で、表題タイトルのアルバムには収録されず、初CD化は、「さよならジュピター」のサントラ盤であり、ユーミンのアルバムとしては、1998年のベストアルバムに収録されるまで、アルバム化はされていない。「さよならジュピター」のために書き下ろされた佳曲はかくも不遇であったのだ。

ところが、シン・エヴァンゲリオン劇場版:||で使われていた「VOYAGER〜日付のない墓標」は、まるでエヴァのために書き下ろされたかのような高い親和性をもたされていた。これも見事な使われ方だな、と映画を鑑賞していて、感服したポイントでもある。

敢えてオリジナル楽曲ではない、かつての名曲たちが、シン・エヴァシリーズではたくさん散りばめられている。

「VOYAGER〜日付のない墓標」もまた、シン・エヴァンゲリオン劇場版:||によって意味を与えられ、生まれ変わったのだとしたら、これは「庵野秀明、天才かよ!」と賛辞の一つも送りたくなるのである。

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