プロレス的音楽徒然草 超闘王のテーマ
新人にしてはド派手な演出
今回はナイフ評論家にしてスポーツ冒険家である北尾光司(光覇)選手のテーマ曲「超闘王のテーマ」をご紹介します。北尾選手は大相撲で横綱までのぼり詰めた逸材でしたが、その大相撲での電撃廃業から約2年後の1990年2月10日、東京ドーム大会でのプロレスデビューしました。
当時はルーテーズのもとで「数ヶ月間みっちり修行を重ねた」という「触れ込み」で帰国してきました。
箒ともプロレスができる
北尾選手のデビュー戦の相手は、クラッシャー・バンバン・ビガロが選ばれたのですが、これはもう「箒ともプロレスができる」ビガロの技量が見込まれたものでした。「プロレスラー・北尾光司」の初披露は90年2月10日の東京ドーム。奇しくもジャンボ鶴田さんや天龍さんら全日本勢の参戦で、プロレス界のベルリンの壁が崩壊したといわれる伝説的な大会です。
北尾選手のデビュー戦は、デーモン小暮閣下に作曲を依頼した入場テーマ曲「超闘王のテーマ」が流れ、次々とスモークが吹き上がりスポットライトが多く照らす中、派手なコスチュームに身を包んだ北尾さんが現れるという新人にしてはド派手な演出がほどこされていました。
デモバージョンでは?
リングに上がった北尾選手は黄色いタンクトップを引き裂くパフォーマンスを見せ、しきりに声を上げては決めポーズを取るアメリカンプロレスを意識したプロレスを展開し、デビュー戦を勝利で終えましたが、試合内容はファンの失笑を買い、相撲廃業時と同様に厳しい目に晒される結果となりました。
「超闘王のテーマ」は北尾選手が大相撲時代から親交のある聖飢魔IIのデーモン小暮閣下が手がけた作品です。大相撲解説者としても活躍されている閣下の渾身の楽曲です。ただし、超闘王のテーマは、CDとして発売されているバージョンと、北尾選手のデビュー戦で使われたバージョンでは若干異なります。
わたしの想像ですが、デビュー戦の時に使用されたのは、デモバージョンではないか、と思います。
当初のリングネームは・・・
北尾選手は当初「サンダーストーム北尾」というリングネームでデビューする予定だったそうです。
まあ、実際には使用されずに本名でデビューしたのですが、「超闘王のテーマ」の中には「Break down Thunder Storm…」というコーラスが入る部分があります。
現実にこのリングネームが採用されていても失笑は買っていたでしょうけどね。
非常にレアな楽曲
さて、超闘王のテーマは北尾選手のテーマ曲として書き下ろされたので、歌詞なしのインストゥルメンタルが先に世にでました。
後年聖飢魔IIの大経典「有害」に収録されている「thunder storm」は、超闘王のテーマに歌詞をつけてデーモン閣下が歌っているものです。このthunder stormもガッツワールドのガッツ石島選手が自らのテーマ曲として使用したため、晴れてプロレステーマ曲の仲間入りを果たしました。
これによって、インストとして書き起こされた原曲の、オリジナルアーティストによるセルフカバー版が、別な選手の入場テーマ曲になったということで、「超闘王のテーマ/thunder storm」は非常にレアな楽曲になりました。
連想するのは・・・
いかにもデーモン閣下らしい勇壮な盛り上がりとは裏腹に「超闘王のテーマ」から私が連想するのは、デビュー戦での北尾選手の妙なロープワークや、後にみちのくプロレスに現れた怪覆面K・K(中身の選手のことを考えると余計に面白いのですが)も真似した「北尾ポーズ」ばかりです(苦笑)
この当時から時を経て、格闘家としてUインターに上がってきたときはあまりの変貌ぶりにびっくりもしましたが(笑)
パワーを持て余していた
後年天龍率いるWARに武輝道場勢として参戦した際は、超危険な落とし方をする北尾ドリラーで暴れまわっていた北尾選手ですが、これも比較的身体が頑丈なWARの選手たちだからこそ相手にできたともいえます。
そういう意味ではプロレスからフェードアウトするまで、北尾選手は常に自分の規格外のパワーを持て余していた印象が私には強いですね。
自身のプロレスデビューの日に
2019年2月10日。55歳の若さで北尾選手は他界されてしまいました。奇しくも自身のプロレスデビューの日に亡くなられるとは、なんとも数奇な運命を感じてしまいます。良くも悪くも大相撲やプロレスを引っ掻き回した北尾選手でしたが、晩年はプロレス界との接触を一切断っていたそうで、もと武輝道場に所属していた望月成晃選手も試合前に一報を聞かされたそうです。
平成が終わりに向かう今、こうしてまたひとり重要な人物が退場していくのはなんとも寂しいものがあります。北尾光司さんのご冥福をお祈りいたします。
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