[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝⑰さくらえみ

泣き虫からカルトヒロインへ

今回は、現在プロレスリング我闘雲舞を率いて活躍しているさくらえみ選手のご紹介です。

高校時代に女子プロレス団体への入門を志望し、IWAジャパンにて、1995年8月17日、対市来貴代子戦でデビュー。当時のリングネームは本名の「元川恵美」でした。

所属していたIWA・JAPANの女子選手は2名のみで、他団体との交流もなかったことから、対戦相手はほぼ常に市来に固定されていました。

その上、『女子プロレス』を教えるコーチが存在しなかったため、あまり巧い試合内容ではなかった。市来にはデビュー以来負け続けることになり、「泣き虫レスラー」と揶揄されていました。その市来選手には1996年6月4日にうやっと初勝利を挙げました。

当時盛んだった女子プロレス団体間の交流戦から外れ、目立たぬ位置でのファイトを続けており、その一風変わったファイトスタイルも相まって、カルトヒロインの呼び名がつきました。

全女参戦が契機に

1997年8月13日、IWA・JAPAN北沢タウンホール大会にてルナ・バションの持つAWF世界女子王座に挑戦し、勝利。初タイトルを獲得します。

同年、全日本女子プロレスの経営難に端を発した選手の大量離脱に伴う選手数不足により、助っ人としてIWA・JAPANに所属したまま全女の興行に帯同します。

このことにより、さくらえみ選手は、試合数が大幅に増え、又それまで対戦したことのなかったトップクラスの選手達と対戦したり、タッグを組むことにより、試合運び等を学ぶ機会を得たことで、レベルアップするきっかけを掴みました。

中西百重や坂井澄江といった若手レスラーらとライバル関係になり、中でも高橋奈苗は以降のプロレス人生に大きな影響を与えることになります。

さくらえみ改名後

レスラーとしては、テクニシャンとしての評価を確立。それほど体格には恵まれていないが多彩な技を持ち、時にコミカルなムーヴも交える技巧派レスラーであり、強豪選手との名勝負も多くあります。

プロレス活動のかたわら女子プロレス教室や子供向け体操教室『アクション体操』を開始。我闘姑娘設立。入場テーマとして自身が歌う『さくらえびちゅ』という曲を作成、この歌に合わせて踊るメンバーを体操教室の生徒の中から選抜し『さくらえびきっず』を結成。このグループの中からりほ(現:里歩)・聖菜らが選手としてデビューしています。

2003年リングネームを、我闘姑娘で使用していたさくらえみにそろえ改名。リングネームの由来は、頚椎ヘルニアで入院中に差し入れられたサクラエビの佃煮に感動したことに由来します。その後、アイスリボンを経て、我闘雲舞に至りますが、遡ること10年前、アイスリボン時代に配信限定の無観客プロレス「19時女子プロレス」を立ち上げます。

「19時女子プロレス」自体は2013年に終了しますが、2020年になり、我闘雲舞とは別ブランドとして、「チョコレートプロレス」というYouTubeでの無観客プロレスを開催。常にSNSを上手く使い、時代を先取りした活躍をしています。

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