プロレススーパースター本烈伝 闘魂と王道 – 昭和プロレスの16年戦争
はじめに
権威を破壊したアントニオ猪木と権威を追求したジャイアント馬場。
新日本プロレスと全日本プロレスの存亡をかけた1792~1988年の〝リアルファイト〟を再検証!「俺のライバルは馬場さんじゃない。プロレスに対する世間の偏見だった」(アントニオ猪木/本書独占インタビューより)
インタビュー
「闘魂と王道 – 昭和プロレスの16年戦争」を読んだ後に、著者の堀江ガンツ氏のインタビューも同時に読んでみた。
その中で紹介されている経歴の中には、ほとんど素人時代のことについては触れていなかったように感じられた。
時間が逆転しない限り
逆にエディタースクールを経てプロになっていた後の話に関しては、たっぷりと書かれていたので、もしかすると素人時代の話は本人的には不本位なものがあるのかもしれない。
実際、時間が逆転しない限り自分のファン時代に戻って、当時の選手・関係者に証言をとることは不可能だろう。
語り手の数は
それを可能な範囲で試みているのが、「闘魂と王道 – 昭和プロレスの16年戦争」ではないか、と私は推察してみた。
当然だが年月を経るにしたがって、登場する「語り手」たちの数は減っていく。
今できる精一杯
だから当事者の生の声を、当時取材していた人や関係者に「代弁」してもらっている。
それは2022年の今できる精一杯だと思うので、それはとやかくいうつもりはない。
個人的な琴線
個人的に琴線に触れたのは、アントニオ猪木さんのインタビューで「俺のライバルは馬場さんじゃない。プロレスに対する世間の偏見だった」とある点。
これはもしかすると、ジャイアント馬場さんも、猪木さんをライバルとしてみていなかったのではないか?
馬場さんもまた
馬場さんもまた、プロレスに対する世間の偏見と戦っていたのかもしれないと私は思っている。
と、ここで「闘魂と王道 – 昭和プロレスの16年戦争」の帯に書かれている一文を検証してみたい。
大衆娯楽におきかえると
帯には、 「権威を追求したジャイアント馬場」「権威を破壊したアントニオ猪木」と書かれている。
この「権威」を大衆娯楽に置き換えると、どうだろうか?
追求と破壊
プロレスを「大衆娯楽」と表現したのは、プロレス王・鈴木みのるである。
「大衆娯楽を追求したジャイアント馬場」と、「大衆娯楽を破壊したアントニオ猪木」。
こういう見方もできるのではないか?と私は考えた。
プロレスを守った
馬場さんは大衆娯楽を追求し、「明るく、楽しく、激しいプロレス」を展開し、「シューティングを超えたものがプロレスだんだよ」という名台詞を残した。
私はジャイアント馬場さんこそが「プロレス」を守った人のひとりかもしれないと考えている。
プロレスを破壊した
対して猪木さんは、プロレスの枠では収まりきれず、プロレスを破壊してプロレス以上のものを作ろうとしたのではないだろうか?
しかしながら同時に猪木さんは、プロレスに関してもまごうことなき天才だった。
枠に収まり切れない
大衆の目を常に意識しながら、大衆を手玉に乗せる才能にたけていた猪木さんは、だがその枠におさまることを良しとはしなかった。
このことが、もしかするとアントニオ猪木さんにとっての不幸だったのかもしれない。
終始一貫した破壊者
結果的にプロレスを壊そうとして、たびたび自分が作った新日本を窮地に陥れた。
確かに新日本側からするとありがた迷惑だったかもしれないが、アントニオ猪木さんが目指していたものはあくまで「破壊」である。
これは今に至るまで終始一貫していたと私は思っている。
2人がいたからこそ
だが、権威の追求のため、プロレスの枠からでなかった馬場さんと、権威もプロレスの枠も、破壊しようとした猪木さんという2人の天才がいたからこそ、日本のプロレスは他にない独特の進化をとげたといってもいい。
どちから一人が欠けても今のような多種多様なプロレスが残ることはなかっただろうし、もしかしたら総合格闘技自体生まれていなかったかもしれない。
記憶との答え合わせ
そして、おそらく1972年から1988年までの「昭和プロレス」を検証するにあたって、2022年というのはタイムリミットギリギリだったといってもいいだろう。
「闘魂と王道 – 昭和プロレスの16年戦争」は、これから歴史を知りたい人にはもちろん、リアルタイムで通って来た世代には、自分の記憶との「答え合わせ」に使える一冊かもしれない。