[プロレス旅日記] 東京見聞録2017

せかぷろ

ゴールデン街へ

ここでは、後楽園と新宿FACE以外の話をまとめておきたい。

後楽園にいくまでに寄りたい候補地として、私は二つの土地を思い描いていた。

それが新宿ゴールデン街と、秋葉原。まあ、アキバはあまり気乗りがしなかったんだけど、ゴールデン街はあの胡散臭さがたまらないから、今回はいの一番に行くつもりだった。

7年前と変わらない

酒も飲まない私は基本、飲酒が目的ではない。あくまで撮影で訪れた観光客。夜間はトラブル防止のため、撮影禁止になるゴールデン街はどうしてめ朝や昼間に行く必要がある。

約7年ぶりに踏み入れたゴールデン街。火災があったと聞いて心配していたが、何か時間が止まっているかのような、七年前と変わらない空間が残っていた。

7年前にも周年祭していた店が15年も続いていたり、正直地方から生き残れてないような店でも歴史を刻んでいるのが面白い!

埼玉へ

新宿をあとにして、水道橋に移動。プロレス戦国時代・群雄割拠その一が終わると、私は妹のうちまでいくため、東武東上線に乗り込み、埼玉まで。

既に姪は寝ていたが、大学生の甥っ子はまだおきていた。なんでも彼の通う大学には夏休みがないらしく、翌日も試験だとか言っていた。

最近の大学生は大変だ。我が甥ながら頭が下がる。

さて、翌日起きて来た義弟と姪に挨拶して、おトクな周回券で水道橋へ。

代アニに日大

ネカフェにいくつもりが行き過ぎて、日大や代々木アニメーション学院まで行ってしまった。

考えてみたら二つとも10代の頃の私にとって、進学先の候補だったんだよなあ。ホントに行っていたらどうなっていたか?今となっては想像もつかない。

しばらくネカフェで前日の観戦記書いて、長年のプロレス仲間の案内で、水道橋のプロレスショップ巡りに。

ショップ巡り

その前に後楽園のベースボールカフェみたいなところで昼飯。正直高いなあとは思ったが、滅多にない体験だから食べてみた。

プロレスショップ巡りは友人が提案してくれたけど、基本水道橋界隈は観戦したら即退散するんで、じっくり水道橋を散策できたのは貴重な機会だった。

マスク博物館

さて、最初は、プロレスマスク博物館なる箱に。

ここは二階が、初代タイガーマスクのマスク制作を一手に引き受けている中村さんが運営するマスクショップで、五階がマスク博物館。

しかし、土日以外は閉館とのことで、中村さんに会っただけで退散。

しかし、ショップにアステカマスクがあったのはびっくり!本人には毎月会っているから何か奇妙な感じがした。

闘道館へ

通過地点に矢野通の店や闘魂ショップがあったけどスルーして、しばらく休憩したのち、プロレスショップ闘道館へ。

ここはさすがにお宝の山。友人の会計だと割引になるらしく、全部10%引きで購入。週プロ創刊号は、極貧大学時代には、金がなくて買えなかったので、約35年ぶりに手に入れられた。

ムタの衣装!

中には広島で馳が大流血した試合で使用されたグレート・ムタの衣装がそのまま売られていたり、結構貴重な品が展示されていた。

店のBGMがプロレス入場テーマなのはいいんだけど、カバー版ばかりなのは閉口した。あれだけいい雰囲気なのにもったいない。

闘道館をあとにして、今度はミステル・カカオさんが経営する覆面屋工房へ。

覆面屋工房にて

カカオさんは不在だったが、リングアナもしている富山千帆さんと、選手兼マスク職人のさんが迎えてくれた。

中村さんのとこと違うのはやはりメキシコ製品がたくさんあることに尽きる!貴重なルチャドールのグッズに囲まれているとそれだけで幸せになれる。

富山千帆さんと

覆面屋工房の皆さんはとても感じがよくて親切。リングアナの富山さんは、なんと2日後の福岡・大橋サマーフェスティバルにリングアナとして呼ばれているらしい。

改めてプロレスが結ぶ奇縁に舌を巻くしかなかった。

しかし、既に台風5号がこの時点で九州に接近中との報が。大丈夫か?

伊勢丹前へ

覆面屋工房でひとしきりプロレス話を繰り広げた通常営業の私は、水道橋から新宿へ。友人と別れたあとは、DDTの闘うビアガーデンを観戦。

試合後、本当は新宿三丁目からそのまま電車にのるはずが気がつくと、いつの間にか新宿伊勢丹前に来ていた。

聖地巡礼

一応説明しておくと、ここはかの「新宿伊勢丹襲撃事件」が起きた場所である。まさにプロレスモノには聖地と呼べる場所!

後楽園より私には伊勢丹の方こそ聖地という認識がある。だから、どうしても訪れたかったのだ。

伊勢丹を撮影後に三丁目まで戻り、電車で再び埼玉へ。

台風の影響

翌朝はやはり台風が心配で早く起きてしまい、挨拶もそこそこに空港へ。

案の定、台風の影響で、手荷物検査は大混乱。搭乗口も急に変更になり、離陸は30分遅れと結構ハプニングが続いた。

実際宮崎行きや鹿児島、沖縄行きは引き返す可能性がある旨アナウンスがあったから、一歩間違うと帰れなくなるところだった。

次の上京が12月になるかどうかはまだわからないけど、2020年までにはもう一度行きたいと思う。皆さんありがとうございました。

プロレス旅日記・1994年の青森・みちのく一人旅中編・いざ、青森へ!
1994年の青森・みちのく一人旅中編・いざ、青森へ! 実際に旅した記憶 前編では、青森に行くまでの過程をお話しました。中・後編では実際に旅した記憶を綴っていこうと思います。 1994年当時、営業マンだった私はお客さんから生命保険2件、がん保






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