プロレススーパー仕事人列伝⑮ ホースト・ホフマン編1
地味ながら確かなレスリング
久々の仕事人列伝はホースト・ホフマンを取り上げたいと思います。
1935年(もしくは1942年説もあり)生まれのホフマンは西ドイツで体育教師を経て、プロレス入りします。ヨーロッパの各種トーナメントで名を挙げていた時代に注目を集め、「ビル・ロビンソンより強い」といわれたほどでした。
やがて1972年国際プロレスの招聘によって初来日。第四回ワIWAワールド・シリーズでは、ドン・レオ・ジョナサン、ジョージ・ゴーディエンコ、バロン・フォン・ラシク、そして当時モンスター・ロシモフと名乗っていたアンドレ・ザ・ジャイアントなどの強豪を相手に地味ながら確かなレスリングを披露し、関係者をうならせたそうです。
失われた必殺技
今回はホースト・ホフマンを通じて、失われた必殺技の話もしたいと思います。昔のプロレスでは序盤に足や腕、あるいは頭などへの一点集中攻撃が多々みられます。
特に近年では見られないのがヘッドロックの攻防です。現代のプロレスでは一度ヘッドロックに捉えてから「一度解いて」首投げに移行し、再び締め直すという流れがみられます。この「一度解いて」の部分が実をいうと昔のプロレスにはなかったモーションですね。では、昔のプロレスラーはどうしていたのか?
その答えが、昭和50年の全日本プロレス・オープン選手権で行われたドリー・ファンクジュニア対ホースト・ホフマンの一戦にあるのです。
X字型のヘッドロック
5分すぎにドリーが見せるX字型のヘッドロックがその答えです。クロスして頭を決めることで、手をほどかずに相手の頭を決め続けることができるのです。圧巻はボディスラムに移行しようとしたホフマンに対して、ヘッドロックを離さなかったドリーの粘り強い攻めですね。
これは今の選手で使える者はいないでしょう。もっともこのドリーの決め方は、当時でもかなり珍しかったようです。
常に緊張感が漂っている
ドリーばかりではありません。ホフマンも負けてはいません。中盤でショートアームシザースにとらえながら、二ーリフトを決めるシーンや、ドリーのスピニング・トー・ホールドを先に決めて、その上からリストを固めていくなど、常に緊張感が漂っています。
スピニング・トー・ホールドへの布石として、ホフマンが揺り椅子固めを仕掛けているのも見逃せません。この技を回転させると「ローリング・クレイドル」になるわけで、心憎いばかりにホフマンがしたたかな計算をしていることがうかがえます。
プロレス界の無形文化財
また、終盤ボストンクラブへ移行しようとするドリーに対して、半身を捻って脱出するホフマンの姿には、新日本対UWFで藤原組長が盛んに使っていた頭を軸にヘッドスピンで、逆エビを逃れるテクニックを彷彿とさせます。もしホフマンがUWFに来日していたらと思うとぞくぞくしますよね。
この試合はオープン選手権屈指の名勝負といわれています。私も「プロレスとは何か」という迷いが生じたときには必ずこの一戦の動画を見返しているのです。まさにドリー対ホフマンの一戦はプロレス界の無形文化財といってもいいでしょうね。