プロレススーパー仕事人列伝⑬ ロン・バス編・1
インタータッグを奪取
今回は2017年3月に他界された、ロン・バス選手を取り上げたいと思います。
日本ではスタン・ハンセンをはじめ全日本プロレスを席巻していた外国人選手のよきパートナーとして知られています。
一番印象深いのは1983年にハンセンとのタッグで、馬場・鶴田からインタータッグを奪取したこどでしょう。
シングルプレイヤーとしても
この時代からWWF(WWE)に登場して、ブルータス・ビーフケーキらと抗争していたあたりが、ロン・バスの全盛期だったのではないかと私は思っています。
日本ではタッグプレイヤーの印象が強いロン・バスですが、海外ではチームとしてもシングルプレイヤーとしても活躍しています。
輝かせることでは天下一品
中堅選手の扱いではあったものの、ベビーフェイスを輝かせることでは天下一品で、多くのベビー選手と抗争を繰り広げたことからも首脳陣の信頼が厚かった選手といえるでしょう。
私が見た動画は1987年の対・ドン・ムラコ戦です。WWFに上がりたてのころですね(現在は削除されてます)。
仕事人としての真骨頂
6分19秒あたりで、ドン・ムラコがネックブリーカー?へ移行しようとした際に、ロン・バスがトップロープを掴んで、ムラコの体勢を崩して形勢を逆転させるシーンが見られます。
これなど仕事人としての真骨頂ですね。
どちらかというと動きが単調なムラコに対して、場外へ出たり、タイミングを外したり、試合の緩急を作っているのは常にロン・バスの方です。
緩急の使い分け
こういう仕事ができるからこそ、数多くのスター選手の対戦相手を務められたのだということが伺えるシーンです。
ムラコの実力を引き出すのと同時に、こうした緩急の使い分けは同時にお客さんのヒートを買う役割も果たしています。個人的にこの試合の失点を強いて言うなら、二人ともラリアット(クローズライン)がへたくそというところでしょうか?
テキサスヒールとしての存在感
ロン・バスがハンセンとのコンビで「ラリアット・ライダーズ(The Lariat Riders)」と呼ばれていたころはそうは思わなかったのですが、今見返してみると「そうでもなかった」かなと(笑)
まあ、でもロン・バスの、ハンセンのキャラを失敬しつつ、独自の味を加えたテキサスヒールとしての存在感は、当時のWWFの中にあっても際立っていたのではないかと思います。
ハンセンのいい所どり
このあたりも日本を主戦場にしていたハンセンのいい所どりをしれっとしているあたり、なかなか憎めないものがあります。
実はエディ・グラハム主宰のチャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダに進出した際は、ベビーフェイスとしてビッグ・ジョン・スタッドやアブドーラ・ザ・ブッチャー、ボビー・ダンカン、アンジェロ・モスカらと抗争し、リック・フレアーが保持していたNWA世界ヘビー級王座にも度々挑戦しているので、本当に善悪硬軟自在な実力派だったことがうかがえると思います。
重宝された選手
ヒールとしては、バリー・ウインダム&マイク・ロトンド、ダスティ・ローデス&ブラックジャック・マリガンなどのチームと抗争を繰り広げた実績をもっていますから、いかにロン・バスが重宝された選手だったかということがわかると思います。
今はこうした仕事のできる選手を本当にみなくなりました。どちらの立ち位置にいてもきちんとした仕事のできるロン・バスのような選手ってプロレスでは必要不可欠だと私は思っているのですが…
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