プロレススーパー仕事人列伝⑦ピート・ロバーツ編.1
技巧派の職人レスラー
今回は、元々柔道家であり、技巧派の職人レスラーとして日本マットでも実績を残したピート・ロバーツ選手のご紹介です。
ここに書いたように本来は職人レスラーであり、仕事人の概念からはなじまないかなと思っていたんですが、つい最近、ピート・ロバーツの昔の試合をYouTubeで発見して認識を新たにしたので、今回取り上げてみることにしました。
最高のテクニシャンの一人
ロバーツは、13歳でビリー・ライレー・ジムに入門し、1959年にプロレスラーとしてデビューしたとされています。
英国マット界の統括組織ジョイント・プロモーションズを活動拠点とし、主にヨーロッパ、日本で活躍しました。
1973年10月14日にはベルリンでローラン・ボックと対戦し、時間切れ引き分けの戦績を残しています。
このボックがロバーツを「自分が出会ったレスラーの中で最高のテクニシャンの一人だった」と評しているのはあまりに有名です。
ハンセンと意気投合
1974年1月、カール・ゴッチのブッキングで新日本プロレスに初来日し、その後も新日本の常連外国人選手となり、トニー・チャールズやジェフ・ポーツとの英国人タッグなどで活躍。
1977年1月の来日では新日本マットに初登場したスタン・ハンセンと意気投合、以降ハンセンとは公私に渡り友人関係を築いたそうで、のちにロバーツが全日に登場する際、骨を折ったのがハンセンだったといわれてます。
新日本では藤波辰巳や初代タイガーマスクと好勝負を繰り広げ、1980年8月24日には田園コロシアムにて木村健吾のNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座に挑戦してます。また第1次UWFにも登場し、藤原喜明らを相手にランカシャー・スタイルのレスリングを披露しています。
全日本プロレスに参戦
1986年7月から全日本プロレスに参戦し。渕正信の世界ジュニアヘビー級王座に3度挑戦、
2代目タイガーマスクやジャパンプロレスのヒロ斎藤とも好試合を展開してます。
2001年のハンセン引退セレモニーには旧知の選手として久々に来日を果たしています。
対ヤングディビッド
さて、私が見つけた映像というのはおそらく英国を拠点にしていたころのロバーツだと思われますが、相手がなんとビリーライレージムの後輩でもある、デイビーボーイスミスなんですね。
のちにWWFへ転出した時のようなあまりに不自然にパンプアップされた体ではなく、非常にナチュラルな体つきをしてます。
しいていうなら、今のデイビーボーイスミスジュニアに似てますね。さすが親子というべきでしょうかね。
そのスミスは、実況ではさかんに「ヤングディビッド」と連呼されているんで、おそらく10代後半から20代前半のころの試合でしょうね。
テクニックで翻弄
さすがに「ヤング」というだけあって、のちにマレンコ兄弟とテクニカルな名勝負をしたころのスミスのような完成度の高い攻防も見られず、ひたすら粗削りなプロレスに終始しています。これに対してロバーツは実に冷静。数々のテクニックでヤングディビッドを翻弄していきます。
圧巻なのは、ポジション的にスミスが上をとっても、すぐに下から鮮やかな返しでロバーツが優勢に転じる様はさすが職人と唸らされます。
下から攻守逆転
AWA王座戦でテクニカルな攻防をみせた、ナガサキ対ニックの例にもあるように、実は下になった選手が攻守逆転させる場面は昔からあるわけですが、日本ではやはりUWFの登場以降に焼きついたかなと、わたしは認識しているので、改めてランカシャーレスリングの奥深さを、こういう機会に学ぶことができたというのは大変幸せなことだな、と思うわけです。
濃密な攻防
このスミス対ロバーツは欧州らしくラウンド制の試合形式なんですが、日本人にはあまり馴染みのないスタイルながら。瞬きするのも惜しいくらい濃密な攻防が繰り広げられています。
こうして沢山の猛者にもまれて、のちのブリティッシュブルドッグが誕生したのだと考えると、私は感慨深くて仕方ないのですよね。(後編につづく)
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